2023年4月5日出発、4月15日帰着で、九州各県へ旅行に行きました。コロナが収まったので、久しぶりの長距離旅行となりました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 3,966km、所要ガソリン量は 183.60L でした。

<2023年4月7日 - 4月13日 全ルート>
九州内部だけの旅行ルートを示します。
九州 alldays

<2023年4月5日>
--- 新潟県上越市 - 富山県富山市 - 石川県金沢市 - 福井県福井市 - 越前市「道の駅 越前たけふ」

<2023年4月6日>
福井県越前市「道の駅 越前たけふ」- 小浜市 - 京都府舞鶴市 - 兵庫県豊岡市 - 香美町 - 鳥取県鳥取市 - 島根県米子市 - 浜田市 - 山口県阿武町「道の駅 阿武町」

<2023年4月7日>
山口県阿武町「道の駅 阿武町」- 下関市 - 福岡県北九州市 - 宗像市 - 福岡市 - 久山町 - 宗像市「道の駅 むなかた」

==2023.04.07
福岡県北九州市
蒲生八幡神社 (かもうはちまんじんじゃ)
Kamou-Hachiman Shrine in Kita-Kyushu City, Fukuoka Pref.

==旧県社==
往昔、蒲生村虹山(巣山)の峯に多紀理比売命・多岐都比売命・市寸島比売命の宗像三女神が天降り、「我、永く此地を守らん」と告げた。そこで、里人は紫の池の辺に多紀理比売命を祀り、虹山の山頂に多岐都比売命を祀り(蒲生宮)、紫の池の北に市寸島比売命を祀った。
後に、蒲生宮に応神天皇・神功皇后を祀り、蒲生八幡宮とした。

==2023.04.07
福岡県北九州市
飛幡八幡宮 (とびはたはちまんぐう)
Tobihata-Hachiman-Gu Shrine in Kita-Kyushu City, Fukuoka Pref.
==旧県社、別表神社==
建久年間(1190年-1199年)、筑前の宇都宮氏(麻生氏)の祖である宇都宮重業が、出身地の宇都宮から氏神の八幡神を勧請し、花尾城の鬼門にあたる枝光村宮田山に祀ったのに始まる。

==2023.04.07
福岡県福岡市志賀島
志賀海神社 (しかうみじんじゃ)
Shikaumi Shrine in Fukuoka City, Fukuoka Pref.

==式内社(名神大社)、旧官幣小社、別表神社==
古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。
社伝では、神代に創祀され、古くは志賀島の北側において表津宮、仲津宮、沖津宮の三宮からなっていた。阿曇磯良(阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったという。

==2023.04.07
福岡県久山町
天照皇大神宮 (てんしょうこうたいじんぐう)
Tensho-Kotai-Gingu Shrine in Hisayama Town, Fukuoka Pref.

==国史見在社、旧県社==
第14代仲哀天皇9年、熊襲征伐の途中、仲哀天皇は「われを祀れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣を疑ったために、その祟りを受けて筑紫橿日宮(現 香椎宮)で崩御した。そこで神功皇后は、小山田の村に斎宮を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったとされる。


<2023年4月8日>
福岡県宗像市「道の駅 むなかた」- 太宰府市 - 福岡市 - 佐賀県唐津市 - 長崎県佐世保市 - 松浦市「道の駅 松浦海のふるさと館」

==2023.04.08
福岡県太宰府市
竈門神社 (かまどじんじゃ)
Kamado Shrine in Dazaifu City, Fukuoka Pref.

==式内社(名神大社)、旧官幣小社、別表神社==
社伝では、天智天皇の代(668年-672年)に大宰府が現在地に遷された際、鬼門(東北)に位置する宝満山に大宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが神祭の始まりという。

==2023.04.08
福岡県宇美町
宇美八幡宮 (うみはちまんぐう)
Umi-Hachiman-Gu Shrine in Umi Town, Fukuoka Pref.

==旧県社、別表神社==
社伝『伝子孫書』によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、第30代敏達天皇3年に応神天皇を祀ったのに始まる。

==2023.04.08
福岡県福岡市
住吉神社 (すみよしじんじゃ)
Sumiyoshi Shrine in Fukuoka City, Fukuoka Pref.

==式内社(名神大社)論社、筑前国一宮、旧官幣小社、別表神社==
神社の縁起では、日本神話の神産みの段、黄泉の国から帰還した伊弉諾尊が禊祓を行った「筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原」がこの博多の住吉の地であるという。その禊祓で住吉三神などが生まれたので、当社が住吉神社の始源であるとしている。

==2023.04.08
佐賀県唐津市
鏡神社 (かがみじんじゃ)
Kagami Shrine in Karatsu City, Saga Pref.

==松浦国総社、旧県社、松浦総鎮守==
社伝では、三韓征伐の際、神功皇后が鏡山山頂に戦勝を祈願して鏡を納めた。その後その鏡が霊光を発したことから、それを聞いた神功皇后が自らの生霊を鏡に込めて祀った。

==2023.04.08
佐賀県唐津市
唐津城跡 (からつじょうあと)
Ruins of Karatsu Castle in Karatsu City, Saga Pref.

==続日本100名城==
江戸時代初期の慶長7年(1602年)から慶長13年(1608年)にかけて築城され、江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった。
廃城後、本丸は舞鶴公園となり、1966年(昭和41年)10月に天守台に慶長様式の天守(模擬天守)が建てられた。

==2023.04.08
佐賀県唐津市
唐津神社 (からつじんじゃ)
Karatsu Shrine in Karatsu City, Saga Pref.

==旧県社==
日本三大くんちである唐津くんちで知られる。
社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持つ。

==2023.04.08
長崎県佐世保市
亀山八幡宮 (かめやまはちまんぐう)
Kameyama-Hachiman-Gu Shrine in Sasebo City, Nagasaki Pref.

==旧県社、別表神社==
当社に伝わる由緒によれば、天武天皇の白鳳4年(675年)に、神託により宇佐神宮から御分霊を迎えたのが始まりという。


<2023年4月9日>
長崎県松浦市「道の駅 松浦海のふるさと館」- 平戸市 - 松浦市 - 佐賀県伊万里市 - 佐賀市 -  福岡県筑前町 - 大川市 - みやま市「道の駅 みやま」

==2023.04.09
長崎県平戸市
志々伎神社 (しじきじんじゃ)
Shijiki Shrine in Hirato City, Nagasaki Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
創建年代は不詳。「肥前風土記」に記載があり、第12代景行天皇の頃の創祀ともいわれる。
壱岐・対馬地域を除く長崎県内では唯一の式内社である。

==2023.04.09
佐賀県佐賀市
與止日女神社 (よどひめじんじゃ)
Yodohime Shrine in Saga City, Saga Pref.

==式内社(小社)、肥前国一宮論社、旧県社==
第29代欽明天皇25年(564年)11月1日に與止姫の神が鎮座し、創祀された。2014年が建立1450年となり、式年大祭が行われた。

==2023.04.09
福岡県筑前町
大己貴神社 (おおなむちじんじゃ)
Oonamuchi Shrine in Chikuzen Town, Fukuoka Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
『筑前国続風土記』に「大神大明神は弥永村にあり」とあり、『日本書紀』仲哀天皇条に記載の大三輪社が当社だとされている。

==2023.04.09
佐賀県みやき町
千栗八幡宮 (ちりくはちまんぐう)
Chiriku-Hachiman-Gu Shrine in Miyaki Town, Saga Pref.

==肥前国一宮、旧国幣小社、別表神社==
『鎮西要略』によれば、神亀元年(724年)、当時の肥前国養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて千根(ちこん)の栗が生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされる。

==2023.04.09
福岡県大川市
風浪宮 (ふうろうぐう)
Furou-Gu Shrine in Okawa City, Fukuoka Pref.

==旧県社、別表神社==
神功皇后が三韓征伐からの帰途、192年に筑後国葦原ノ津(大川榎津)に寄った時、阿曇連磯良丸に少童命(ワダツミノミコト)を祀ったのがはじまりで、千八百余年の由緒を持つ。


<2023年4月10日>
福岡県みやま市「道の駅 みやま」- 大牟田市 - 熊本県熊本市 - 宇城市 - 甲佐町 -  鹿児島県出水市 - 薩摩川内市「道の駅 樋脇 遊湯館」

==2023.04.10
熊本県熊本市
田原坂公園 (たばるざかこうえん)
Tabaruzaka Memorial Park in Kumamoto City, Kumamoto Pref.

==史跡==
田原坂(たばるざか)は、1877年(明治10年)に起こった西南戦争での最大の激戦地として知られ、国の史跡に指定されています。

==2023.04.10
熊本県熊本市
藤崎八旛宮 (ふじさきはちまんぐう)
Fujisaki-Hachiman-Gu Shrine in Kumamoto City, Kumamoto Pref.

==旧国幣小社、別表神社==
承平5年(935年)、勅願により藤原純友の乱の追討と九州鎮護のために、国府の所在地であった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請を受けて創建された。

==2023.04.10
熊本県熊本市
北岡神社 (きたおかじんじゃ)
Kitaoka Shrine in Kumamoto City, Kumamoto Pref.

==旧県社==
社伝によれば、承平4年(934年)、藤原保昌が肥後国司として下向した際、鎮護のため京都の祇園社(現 八坂神社)の御分霊を湯ノ原(現 熊本市西区二本木)に勧請したのが創祀とされる。

==2023.04.10
熊本県宇城市三角町
郡浦神社 (こうのうらじんじゃ)
Konoura Shrine in Uki City, Kumamoto Pref.

==肥後国三宮、旧郷社==
『三大実録』に天慶2年(878年)、第12代景行天皇、神功皇后の功績に与り、正六位上の位を持つ蒲智比咩神社の記述があり、これが当社の源流と思われる。

==2023.04.10
熊本県甲佐町
甲佐神社 (こうさじんじゃ)
Kousa Shrine in Kousa Town, Kumamoto Pref.

==肥後国二宮、旧郷社==
創建は第8代孝元天皇26年とも言われる。もともと鏑崎宮(かぶらざきぐう)と称したが、神功皇后凱旋ののち、甲冑を納められたので甲佐宮と改めたと言われる。

==2023.04.10
鹿児島県出水市
加紫久利神社 (かしくりじんじゃ)
Kashikuri Shrine in Imizu City, Kagoshima Pref.

==式内社(小社)、薩摩国二宮、旧県社==
創建年代は不詳だが、奈良朝にはすでに存在しており、『三代実録』には貞観2年(860年)3月20日の従五位上より同8年(866年)4月7日正五位上までの三度の神階昇叙の記載が見える。

==2023.04.10
鹿児島県薩摩川内市
新田神社 (にったじんじゃ)
Nitta Shrine in Satsuma-Sendai City, Kagoshima Pref.

==薩摩国一宮、旧国幣中社、別表神社==
社伝によれば、邇邇杵尊(ニニギノミコト)の陵を祀ったのが創始とされる。
承平年間(931-938年)の八幡神勧請(八幡五所別宮)による八幡新田宮(新田八幡宮)の由縁から、それ以前の平安前期(794〜930年頃)には、既に新田神社(新田宮)が当地にあったことは間違いない。


<2023年4月11日>
鹿児島県薩摩川内市「道の駅 樋脇 遊湯館」- 鹿児島市 - 霧島市 - 宮崎県えびの市 - 小林市 -  高原町 - 都城市「道の駅 山之口」

==2023.04.11
鹿児島県鹿児島市
南洲墓地 (なんしゅうぼち)
Nanshu Cemetery in Kagoshima City, Kagoshima Pref.

南洲墓地には、明治10年(1877)に起きた西南戦争に敗れた薩軍2023名の将兵が眠ってます。
岩崎谷で戦死した西郷以下40名を仮埋葬したこの地に、その2年後、市内各所に埋葬されていた遺骨を移し、さらに6年後には、宮崎・熊本・大分の各県からも集められました。正面中央に西郷隆盛の墓が置かれています。

==2023.04.11
鹿児島県鹿児島市
鹿児島神社 (かごしまじんじゃ)
Kagoshima Shrine in Kagoshima City, Kagoshima Pref.

==国史見在社、旧県社==
旧名は宇治瀬神社
創建年代は不明であるが、『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日条に従五位下から従五位上に昇叙された薩摩国「鹿児島神」に比定されている国史見在社。

==2023.04.11
鹿児島県霧島市
大穴持神社 (おおなむぢじんじゃ)
Oonamuzi Shrine in Kirishima City, Kagoshima Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
創建は不詳。社記では天平年間(729-749年)の創建とする。

==2023.04.11
鹿児島県霧島市
韓国宇豆峯神社 (からくにうずみねじんじゃ)
Karakuni-Uzumine Shrine in Kirishima City, Kagoshima Pref.

==式内社(小)、旧県社==
創建年代は不詳だが、『宇佐記』によれば「第29代欽明天皇32年(571年)癸卯2月豊前国宇佐郡菱形池の上小椋山」にて鎮祭した。

==2023.04.11
宮崎県えびの市
白鳥神社 (しらとりじんじゃ)
Shiratori Shrine in Ebino City, Miyazaki Pref.

==旧県社==
天暦年間(947年-957年)、または応和年間(961年-964年)に、霧島山を訪れていた「性空」が白鳥山の頂上付近にある六観音堂で法華経を唱えていたところ、白髪の老人が現れ、「我は日本武尊であり白鳥となってこの山に住んでいるが、我を祀る神社を建てよ」と語り、白鳥と化して飛び去った。そこで、白鳥山中腹に聖観音を本地とする白鳥権現社として創建された。

==2023.04.11
宮崎県小林市
霧島岑神社 (きりしまみねじんじゃ)
Kirishimamine Shrine in Kobayashi City, Miyazaki Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社==
創建年代は不明であるが、社伝によると、承和4年(837年)8月、従五位上を授けられたと『続日本後紀』に記載されている「霧島岑神」が当社であるといわれる。

==2023.04.11
宮崎県高原町
狭野神社 (さのじんじゃ)
Sano Shrine in Takaharu Town, Miyazaki Pref.

==旧県社、別表神社==
第5代孝昭天皇の時代に、初代神武天皇が誕生した地に創建されたと伝えられる。当社より西に1キロほどにある末社の皇子原神社が生誕地とされる。


<2023年4月12日>
宮崎県都城市「道の駅 山之口」- 宮崎市 - 西都市 - 都農町 - 大分県大分市 -  由布市湯布院町「道の駅 ゆふいん」

==2023.04.12
宮崎県宮崎市
江田神社 (えだじんじゃ)
Eda Shrine in Miyazaki City, Miyazaki Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
「禊ぎ発祥の地」「祝詞発祥の地」といわれる。
『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の「日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並びに官社に預かる」という記事が国史の初見。

==2023.04.12
宮崎県西都市
都萬神社 (つまじんじゃ)
Tsuma Shrine in Saito City, Miyazaki Pref.

==式内社(小社)、日向国二宮、旧県社==
創建年代は不詳。国史の初見は、『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の記事。その後、神階は天安2年(858年)に従四位下まで昇進した。

==2023.04.12
宮崎県都農町
都農神社 (つのじんじゃ)
Tsuno Shrine in Tsuno Town, Miyazaki Pref.

==式内社(小社)、日向国一宮、旧国幣小社、別表神社==
社伝によれば、初代神武天皇即位の6年前、天皇が東遷に向かう際に鎮祭したことに始まる。
また『塵添壒囊抄』によれば、神功皇后が三韓征伐に際して舟の守護神として「吐乃大明神」を勧請、皇后が凱旋後に社殿を造営したのが初めであるという。

==2023.04.12
大分県大分市佐賀関
早吸日女神社 (はやすいひめじんじゃ)
Hayasuihime Shrine in Oita City, Oita Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
当社縁起によれば、紀元前667年に、神日本磐余彦尊(後の神武天皇)が東征の途中で速吸の瀬戸(豊予海峡)を通りかかった折りに、海女の姉妹の黒砂・真砂の二神が、潮の流れを静めるために海底から大蛸が護っていた神剣を取り上げて神日本磐余彦尊に奉献したところ、神日本磐余彦尊自らがこの剣を御神体として、祓戸の神(速吸日女)を奉り、建国を請願したのが始まりであるとされる。

==2023.04.12
大分県大分市
西寒多神社 (ささむたじんじゃ)
Sasamuta Shrine in Oita City, Oita Pref.

==式内社(大社)論社、豊後国一宮、旧国幣中社、別表神社==
神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んだ。その後、第15代応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという。

==2023.04.12
大分県大分市
春日神社 (かすがじんじゃ)
Kasuga Shrine in Oita City, Oita Pref.

==旧県社、別表神社==
社伝によれば、平安時代の貞観2年(860年)、豊後国国司となった藤原世数により氏神である大和国の春日大社を勧請して創建された。


<2023年4月13日>
大分県由布市湯布院町「道の駅 ゆふいん」- 別府市 - 中津市 - 福岡県北九州市 - 山口県下関市 - 萩市 - 島根県益田市 -  出雲市「道の駅 キララ多伎」

==2023.04.13
大分県由布市湯布院町
宇奈岐日女神社 (うなぎひめじんじゃ)
Unagihime Shrine in Yufu City, Oita Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社伝によれば、創祀は第12代景行天皇12年10月とされる。国史の初見は嘉祥2年(849年)に従五位下の神階に叙せられたという記述で、元慶7年(883年)には正五位下に昇叙された。

==2023.04.13
大分県別府市
八幡朝見神社 (はちまんあさみじんじゃ)
Hachiman-Asami Shrine in Beppu City, Oita Pref.

https://youtu.be/SR27d-hpQZ8
==旧県社、別表神社==
建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。当社はこの時に創建されたものと伝えられる。

==2023.04.13
大分県別府市
火男火売神社 (ほのおほのめじんじゃ) 下宮
Honoo-Honome Shrine in Beppu City, Oita Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
別府温泉の守り神とも呼ばれる。温泉に関わる式内社である。
別府市鶴見岳山頂の上宮、中腹の中宮、山麓(火売)の鉄輪温泉近くにある下宮の三宮からなる。
社伝では、宝亀2年(771年)の創祀とされる。

==2023.04.13
山口県下関市
亀山八幡宮 (かめやまはちまんぐう)
Kameyama-Hachiman-Gu Shrine in Shimonoseki City, Yamaguchi Pref.

==長門国三宮、旧県社、別表神社==
享保年間の『防長社寺由来』によれば、貞観元年(859年)、行教が宇佐神宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請する途中、当時は島だった亀山に碇泊した。そのとき「この山は清浄な地であるので、しばらく祀ってから先へ進んでほしい」と神託があったため、亀山に行宮が設けられた。この行宮が当社の起源。

==2023.04.13
山口県下関市
忌宮神社 (いみのみやじんじゃ)
Iminomiya Shrine in Shimonoseki City, Yamaguchi Pref.

==式内社(小社)、長門国二宮、旧国幣小社、別表神社==
第14代仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる。
仲哀天皇8年に筑紫の香椎(現 香椎宮)で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのが創祀とされる。


<2023年4月14日>
島根県出雲市「道の駅 キララ多伎」- 松江市 - 鳥取県鳥取市 - 兵庫県養父市 - 京都府舞鶴市 - 福井県福井市 - 石川県白山市「道の駅 めぐみ白山」

<2023年4月15日>
石川県白山市「道の駅 めぐみ白山」- 金沢市 - 富山県富山市 - 新潟県糸魚川市 ---


**** END ****

2023年3月20日と3月21日の2日間で、新潟県内の旅行に行きました。
春になって車旅を始めるにあたって、日頃放置してある県内をまず初めに訪問することにしました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です。新潟県は大きい (長い) ので1日では回り切れず、2日間の行程となりました。

<2023年3月20日 - 3月21日 全ルート>
新潟 allday

<2023年3月20日>
新潟県長岡市 - 糸魚川市 - 上越市 - 柏崎市 - 長岡市

==2023.03.20
新潟県糸魚川市青海
青海神社 (おうみじんじゃ)
Oumi Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
奈良時代の神亀3年(726年)、椎根津彦命の御分霊を勧請して奉斎したのが始まり。椎根津彦命の後裔が当時の久比岐国造である青海首だという。久比岐が後に頸城に変わった。

==2023.03.20
新潟県糸魚川市
天津神社 (あまつじんじゃ)
Amatsu Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、越後国一宮とされる一社、旧県社==
第12代景行天皇の御世の創建と伝えられ、第36代孝徳天皇の勅願所であったと伝えられている。

==2023.03.20
新潟県糸魚川市能生
能生白山神社 (のうはくさんじんじゃ)
Nou-Hakusan Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧郷社==
社伝によれば、第10代崇神天皇10年11月初午の日に創祀された。
奈良時代になり、泰澄やその関係者が当社に仏像を安置し、白山信仰を布教、社号を白山権現に改められたという。小白山権現とも呼ばれた。

==2023.03.20
新潟県上越市
居多神社 (こたじんじゃ)
Kota Shrine in Joetsu City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、越後国一宮の論社、旧県社==
創建は不詳。『頸城郡延喜式神社考』では神代の古跡であると伝える。社地は、慶応2年(1866年)まで現社地の北西約1キロメートルの身輪山に存在したという。

==2023.03.20
新潟県上越市
高田城跡 (たかだじょうあと)
Ruins of Takada Castle in Joetsu City, Niigata Pref.

==続日本100名城==
高田城は徳川家康の六男、松平忠輝の居城として江戸時代の天下普請によって築かれた城です。江戸時代の築城であるにもかかわらず、石垣はなくすべての曲輪に土塁が採用されていますが、これは「大坂冬の陣」の直前で工事を急いだことなどが原因だと考えられています。


<2023年3月21日>
長岡市 - 加茂市 - 新潟市 - 燕市 - 柏崎市 - 長岡市

==2023.03.21
新潟県加茂市
青海神社 (あおみじんじゃ)
Aomi Shrine in Kamo City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社==
奈良時代の神亀3年(726年)、青海郷を開拓した青海首一族が祖神の椎根津彦命と大国魂命を奉斎して、現在地である加茂山の山麓に創建された。
平安時代になり、当地は京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の神領となり、御分霊を勧請して合祀した。

==2023.03.21
新潟県新潟市
白山神社 (はくさんじんじゃ)
Hakusan Shrine in Niigata City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社、別表神社==
戦国時代の火災で古記録を失っているため、創建の年代は不詳であるが、平安時代中期とされている。明応年間(1492年-1501年)あるいは正保元年(1644年)に古新潟から現在地に遷座したと伝えられる。

==2023.03.21
新潟県柏崎市西山町
物部神社 (もののべじんじゃ)
Mononobe Shrine in Kashiwazaki City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、越後国二宮、旧県社==
社伝によれば、御祭神・二田天物部命は天香山命(越後国一宮の彌彦神社の御祭神)に従って越の国に来臨したという。そして石地(現・柏崎市西山町石地)で天香山命と別れたのち、多岐佐加の二田を献上する者がいたので、その地に居を定めて里を「二田」と称したと伝える。

**** END ****

2022年10月22日出発、10月25日帰着で、千葉県・埼玉県へ旅行に行きました。主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 1,189km、所要ガソリン量は 55.28L でした。尚、通り道の茨城県と群馬県の未訪問先も一部訪問しました。

<2022年10月22日 - 10月25日 全ルート>
千葉埼玉 allday

<2022年10月22日>
--- 新潟県魚沼市 - 福島県只見町 - 南会津町 - 栃木県矢板市 - 茨城県笠間市 - 鉾田市- 潮来市「道の駅いたこ」

==2022.10.22
茨城県笠間市
稲田神社 (いなだじんじゃ)
Inada Shrine in Kasama-City,Ibaraki Pref.

==式内社(名神大社)、旧県社==
当社は新治国造が奉斎した神社と考えられている。新治国造は律令制以前に新治郡地域を治めたとされる国造で、『先代旧事本紀』「国造本紀」新治国造条には美都呂岐命の子の比奈羅布命を初代国造とする旨の記載がある。


<2022年10月23日>
茨城県潮来市「道の駅いたこ」- 神栖市 - 稲敷市 -  千葉県成田市 - 茂原市 - 一宮町 - 館山市 - 鋸南町「道の駅 保田小学校」

==2022.10.23
茨城県神栖市
息栖神社 (いきすじんじゃ)
Ikisu Shrine in Kamisu City, Ibaraki Pref.

==国史見在社、旧県社。香取神宮、鹿島神宮とともに東国三社と呼ばれる。== 
社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(現・神栖市日川)に創建されたという。その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える。

==2022.10.23
茨城県稲敷市
大杉神社 (おおすぎじんじゃ)
Oosugi Shrine in Inashiki City, Ibaraki Pref.

==旧郷社、別表神社。関東、東北地方に分布する大杉神社の総本社==
神護景雲元年(767年)、僧勝道が下野国日光への道中、当地を訪れ、蔓延していた疫病の退散を巨杉に祈願した。すると三輪明神が現れて蔓延が収まったので、祠を造立して大杉大明神として奉斎したという。

==2022.10.23
千葉県茂原市
橘樹神社 (たちばなじんじゃ)
Tachibana Shrine in Mobara City, Chiba Pref.

==式内社(小社)、上総国二宮、旧県社==
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。

==2022.10.23
千葉県一宮町
玉前神社 (たまさきじんじゃ)
Tamasaki Shrine in Ichinomiya Town, Chiba Pref.

==式内社(名神大社)、上総国一宮、旧国幣中社、別表神社==
永禄年間(1558年-1570年)の戦火により社殿および古記録などが焼失したため、創建やそれまでの古い記録を参照することができない。

==2022.10.23
千葉県館山市
鶴谷八幡宮 (つるがやはちまんぐう)
Tsurugaya-Hachimangu Shrine in Tateyama City, Chiba Pref.

==安房国総社、旧県社==
平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現 南房総市)に安房国総社として創建された。
鎌倉時代に入ると総社信仰が衰微し、代わって源氏の影響で八幡神信仰が高まったため、総社から改変され八幡宮となり、現在地に遷座した。


<2022年10月24日>
千葉県鋸南町「道の駅 保田小学校」- 市原市 - 船橋市 - 埼玉県三郷市 - さいたま市 - 所沢市 - 日高市 - 深谷市「道の駅 はなぞの」

==2022.10.24
千葉県市原市
姉埼神社 (あねさきじんじゃ)
Anesaki Shrine in Ichihara City, Chiba Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社伝では、日本武尊が当社鎮座地の宮山台で弟橘姫をしのび、風の神である支那斗弁命を祀ったのが当社の始まりと伝える。『日本三代実録』では、元慶元年(877年)5月17日、従五位上勲五等から正五位下勲五等に進み、元慶8年(884年)7月15日には正五位上勲五等に。

==2022.10.24
千葉県市原市
飯香岡八幡宮 (いいがおかはちまんぐう)
Iigaoka Hachimangu Shrine in Ichihara City, Chiba Pref.

==上総国総社、旧県社==
天武天皇の時代、白鳳4年(675年)、勅使桜町季満・奉幣使菅原時春が下向し、神殿を飯香岡に創建して誉田別尊以下三神を奉斎する。
天平勝宝元年(749年)に社殿を造営し、天平宝字3年(759年)には勅命により一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮となり、国府総社と称せられた。

==2022.10.24
千葉県船橋市
意富比神社 (おおひじんじゃ)
Oohi Shrine in Funabashi City, Chiba Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社伝では、第12代景行天皇40年、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。国史の初見は『日本三代実録』の貞観5年(863年)5月26日条。

==2022.10.24
埼玉県さいたま市
調神社 (つきじんじゃ)
Tsuki Shrine in Saitama City, Saitama Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社記『調宮縁起』によれば、第9代開化天皇3年の創建とされる。
第10代崇神天皇の御世、伊勢の神宮斎主の倭姫命が参向し、境内に神宮に献る調物を納めるための倉を建て、武総野の初穂米・調の集積所と定めたと伝わる。この際、倭姫命の命により調の運搬の妨げとなる鳥居や門が取り払われたとし、これが現在も鳥居を建てない由来となる。

==2022.10.24
埼玉県所沢市
北野天神社 (きたのてんじんじゃ)
Kitanoten Shrine in Tokorozawa City, Saitama Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
正式名称は物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社で、当社名は三つの神社の通称である。

==2022.10.24
埼玉県日高市
高麗神社 (こまじんじゃ)
Koma Shrine in Hidaka City, Saitama Pref.

==旧県社、別表神社==
天智天皇5年(666年)、高句麗からの使者の一員として玄武若光が来日したが、翌年、高句麗は唐・新羅に滅ぼされる。同7年(668年)、朝廷は高句麗から亡命して日本に居住していた帰化人を高麗郡の設置にあたって移住させ、その中に高麗若光もいたという。彼は各地から移り住んだ亡命高句麗人1799人とともに当地の開拓に当たった。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀った。これが当社創建の経緯。


<2022年10月25日>
埼玉県深谷市「道の駅 はなぞの」- 長瀞町 - 秩父市 - 東秩父村 - 東松山市 - 加須市 - 群馬県前橋市 - 高山村 - みなかみ町 - 新潟県湯沢町 ----

==2022.10.25
埼玉県長瀞町
寳登山神社 (ほどさんじんじゃ)
Hodosan Shrine in Nagatoro Town, Saitama Pref.

==旧県社、別表神社。秩父三社の一社==
社伝によれば、第12代景行天皇41年、日本武尊による東征の際、ヤマトタケルが遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、日本武尊の進退を窮せしめた。すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、日本武尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。日本武尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起き、のちに「宝登山」となったという。また巨犬は大山祇神の神犬であったことを知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭した。これが当社の起源であるとされる。

==2022.10.25
埼玉県秩父市
秩父神社 (ちちぶじんじゃ)
Chichibu Shrine in Chichibu City, Saitama Pref.

==式内社(小社)、武蔵国四宮、旧国幣小社、別表神社==
『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、第10代崇神天皇10年、知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世孫である知知夫彦命が、祖神を祀ったことに始まるとされる。

==2022.10.25
埼玉県東松山市
箭弓稲荷神社 (やきゅういなりじんじゃ)
Yakyu-Inari Shrine in Higashi-Matsuyama City, Saitama Pref.

==旧県社、別表神社==
和銅5年(712年)の創建と伝えられる。江戸時代には、江戸を中心に各地に分祀が行われるほど、多くの信仰を集めた。

==2022.10.25
埼玉県加須市
玉敷神社 (たましきじんじゃ)
Tamashiki Shrine in Kazu City, Saitama Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社伝によれば、大宝3年(703年)、東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨によって創建された。

==2022.10.25
群馬県前橋市
総社神社 (そうじゃじんじゃ)
Souja Shrine in Maebashi City, Gumma Pref.

==上野国総社、旧県社==
上野国内の神々を記した『上野国神名帳』を御神体としている。
社伝によると、第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという。

**** END ****

2022年9月25日出発、9月28日帰着で、福島県・茨木県・栃木県へ旅行に行きました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 1,165km、所要ガソリン量は 55.39L でした。

<2022年9月25日 - 9月28日 全ルート>
茨城 栃木 allday

<2022年9月25日>
--- 新潟県魚沼市 - 福島県只見町 - 南会津町 - 郡山市 - 石川町 - いわき市「道の駅 よつくら港」

==2022.09.25
福島県南会津町
田出宇賀神社 (たでうがじんじゃ)
Tadeuga Shrine in Minami-Aizu Town, Fukushima Pref.

==旧郷社==
田の神を宇迦之御魂命と崇め、田出宇賀大明神として町の鎮守としたのが、当社の創祀。
重要無形民俗文化財に指定されている祇園祭の起源は鎌倉時代初期の文治年間(1185年-1190年)、当地の領主だった長沼宗政が祇園信仰の徒だったため招来されたもの。

==2022.09.25
福島県郡山市
安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)
Asakakunitsuko Shrine in Koriyama City, Fukushima Pref.

==旧県社==
成務天皇5年(135年)、比止禰命が初代安積国造に任ぜられて安積国を建国し、神社を創建して和久産巣日神と天湯津彦命禰命を祀ったのが起源とされる。

==2022.09.25
福島県石川町
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)
Iwatsutsukowake Shrine in Ishikawa Town, Fukushima Pref.

=式内社(小社)、旧郷社、都々古別三社の一社==
創建の年代は不詳だが、延喜式神名帳の記述が書物における当社の初見である。


<2022年9月26日>
福島県いわき市「道の駅 よつくら港」- 矢吹町 - 那須町 -  栃木県大田原市 - 茨城県日立市 - 常陸太田市「道の駅 ひたちおおた」

==2022.09.26
福島県いわき市
大國魂神社 (おおくにたまじんじゃ)
Okunitama Shrine in Iwaki City, Fkushima Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
奈良時代の養老2年(718年)、石城国が設置された。石城国府は当社東南方2キロにある根岸遺跡に置かれたと考えられている。石城国のまほろばの森に大國魂神、石城国の国魂を奉斎したのが当社の創祀。

==2022.09.26
福島県いわき市
住吉神社 (すみよしじんじゃ)
Sumiyoshi Shrine in Iwaki City, Fukushima Pref.

==式内社(小)、旧県社==
第12代景行天皇の御代、建内宿禰が勅命を奉じて東北地方を巡視した。その時、この地が陸と海との要害の地で、東北の関門にもあたるため、航海安全と国家鎮護のため、東北総鎮守として祀られたという。

==2022.09.26
福島県いわき市
飯野八幡宮 (いいのはちまんぐう)
Iino-Hachimangu Shrine in Iwaki City, Fukushima Pref.

==旧県社==
社伝によれば、前九年合戦後の康平6年(1063年)に、源頼義によって創建されたと伝えられる。

==2022.09.26
栃木県那須町
那須温泉神社 (なすゆぜんじんじゃ)
Nasu-Yuzen Shrine in Nasu Town, Tochigi Pref.

==式内社(小社)論社、旧郷社==
第34代舒明天皇の御代、630年ごろ、狩野三郎行広が矢傷の白鹿を追って山中に迷い込み、神の啓示により温泉を発見して社を創建、温泉の神を祀った。

==2022.09.26
栃木県大田原市
那須神社 (なすじんじゃ)
Nasu Shrine in Ohtawara City,Tochigi Pref.

==旧郷社==
仁徳天皇(313~399)時代の創立で、さらに延暦年中(782~806)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って金丸八幡宮にしたと伝えられている。明治に入って那須神社と称した。

==2022.09.26
茨城県日立市
御岩神社 (おいわじんじゃ)
Oiwa Shrine in Hitachi City, Ibaraki Pref.

==旧村社==
創建時期は不明であるが、「常陸国風土記」(713年編纂)の記述の他、「日本三代実録」「続日本後紀」などの国史にも記載され、「古語拾遺」にも記述がある。


<2022年9月27日>
茨城県常陸太田市「道の駅 ひたちおおた」- 那珂市 - ひたちなか市 -  水戸市 - 笠間市 - 石岡市 - 栃木県小山市 - 結城市 - 栃木県真岡市 - 下野市「道の駅 しもつけ」

==2022.09.27
茨城県那珂市
靜神社 (しずじんじゃ)
Shizu Shrine in Naka City, Ibaraki Pref.

==式内社(名神大社)、常陸国二宮、旧県社==
創建について、「新編常陸国誌」では大同元年(806年)に創建されたという社伝を載せる。

==2022.09.27
茨城県ひたちなか市
酒列磯前神社 (さかつらいそさきじんじゃ)
Sakatsura-Isosaki Shrine in Hitachinaka City, Ibaraki Pref.

==式内社(名神大社)、旧国幣中社、別表神社==
「日本文徳天皇実録」によると、斉衡3年(856年)のこととして、大洗の海岸に御祭神大名持命・少彦名命が御降臨になり、「われは大奈母知・少比古奈命である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣したという。これが創建。大洗磯前神社の創建もこれに基づく。

==2022.09.27
茨城県水戸市
吉田神社 (よしだじんじゃ)
Yoshida Shrine in Mito City, Ibaraki Pref.

==式内社(名神大社)、常陸国三宮、旧県社==
「常陽式内鎮座本紀」「常陸二十八社考」によると、日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建。
国史での初見は、承和13年(846年)で、従五位下勲八等の神階にある「吉田神」が名神に列したと記されている。

==2022.09.27
茨城県笠間市
笠間稲荷神社 (かさまいなりじんじゃ)
Kasama-Inari Shrine in Kasama City, Ibaraki Pref.

=旧村社、別表神社==
社伝では白雉2年(661年)に創建されたとされるが、近世までの沿革は不詳。「常陸国風土記」によると、7世紀ごろにはすでに当地で宇迦之御魂神への信仰が行われたと記されている。

==2022.09.27
茨城県石岡市
常陸國總社宮 (ひたちのくにそうしゃぐう)
Hitachinokuni-Soshagu Shrine in Ishioka City, Ibaraki Pref.

==常陸国総社、旧県社==
社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年-749年)の創建とされる。
当初の社名は「国府の宮」であったが、延喜年間(901年-923年)に天神地祇の6柱の神が祀られるようになって、「六所の宮」となり、さらに総社に改名。

==2022.09.27
栃木県小山市
安房神社 (あわじんじゃ)
Awa Shrine in Oyama City, Tochigi Pref.

==式内社(小社)、旧郷社==
創建は第10代崇神天皇の時代とされる。御祭神は諸説あるが、主祭神は天太玉命。

==2022.09.27
茨城県結城市
健田須賀神社 (たけだすがじんじゃ)
Takeda-Suga Shrine in Yuki City, Ibaraki Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
明治期に健田神社と須賀神社を合祀。健田神社は、創建の由緒は不詳であるが、結城国造の竹田臣が祖神の武渟川別命を祀ったものと伝えられる。『延喜式』神名帳に下総国11社のうちの1社として記載されている。

==2022.09.27
栃木県小山市
高椅神社 (たかはしじんじゃ)
Takahashi Shrine in Oyama City, Tochigi Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
社伝によると、景行天皇41年(111年)、日本武尊が東征の際に当地で国常立尊・天鏡尊・天萬尊を勧請し、戦勝を祈願したのが起源である。

==2022.09.27
栃木県真岡市
大前神社 (おおさきじんじゃ)
Osaki Shrine in Moka City, Tochigi Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
創祀の時期は不詳だが、神護景雲年間(767年-770年)に社殿が再建され、平安期からは、常陸国坂東の東叡山黒子千妙寺の末寺が別当寺となった。


<2022年9月28日>
栃木県下野市「道の駅 しもつけ」- 栃木市 - 宇都宮市 - 矢板市 - 那須塩原市 - 栃木県日光市 - 福島県南会津町 - 只見町 - 新潟県魚沼市 -----

==2022.09.28
栃木県栃木市
村檜神社 (むらひじんじゃ)
Murahi Shrine in Tochigi City, Tochigi Pref.

==式内社(小社)論社、旧郷社==
創祀は飛鳥時代の大化2年(646年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命の2柱を奉斎したという。

==2022.09.28
栃木県栃木市
大神神社 (おおみわじんじゃ)
Omiwa Shrine in Tochigi City, Tochigi Pref.

==式内社(小社)論社、下野国総社、旧県社==
社伝によれば、第10代崇神天皇の時代に皇子である豊城入彦命が東国平定の折に戦勝と人心平安を祈願した。その際、当時から広く名を知られた室の八嶋に、崇神天皇が都とした大和国磯城瑞籬宮に座した大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建。

==2022.09.28
栃木県宇都宮市
二荒山神社 (ふたあらやまじんじゃ)
Futa-arayama Shrine in Utsunomiya City, Tochigi Pref.

==式内社(名神大社)論社、下野国一宮、旧国幣中社、別表神社==
社伝では、第16代仁徳天皇41年に毛野国が下野国と上野国に分けられた際、下野国国造に任じられた奈良別王が曽祖父・豊城入彦命をこの地域の氏神として祀ったのに始まると伝える。

==== END ====

2022年9月4日出発、9月7日帰着で、石川県・福井県へ旅行に行きました。
先回の6月の富山県・石川県の旅を意図しない出来事でやむを得ず中断しましたが、今回はその続きという事になります。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 1165km、所要ガソリン量は 55.39L でした。

<2022年9月4日 - 9月7日 全ルート>
石川 福井 allday

<2022年9月4日>
--- 新潟県糸魚川市 - 富山県黒部市 - 富山市 - 南砺市 - 石川県金沢市 - 小松市 - 白山市鳥越 - 白山市「道の駅 めぐみ白山」

==2022.09.04
富山県富山市
日枝神社 (ひえじんじゃ)
Hie Shrine in Toyama City, Toyama Pref.

==旧県社、別表神社==
創建は不詳であるが、最も古い記録は建武2年(1335年)のもので、その頃には越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたとある。前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に定められ、新たに社地・社殿が寄進された。

==2022.09.04
石川県小松市
石部神社 (いそべじんじゃ)
Isobe Shrine in Komatsu City, Ishikawa Pref.

==式内社(小社)、加賀国総社、旧郷社==
創祀年代は不詳であるが、加賀国が越前国から分国された弘仁14年(823年)よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の国府の南に位置したところから、府南社との別名があった。


<2022年9月5日>
白山市「道の駅 めぐみ白山」- 加賀市 - 福井県あわら市 - 坂井市 - 福井市 - 大野市 - 越前市 - 鯖江市 - 南越前町「道の駅 南えちぜん山海里」

==2022.09.05
石川県加賀市
菅生石部神社 (すごういそべじんじゃ)
Sugou-Isobe Shrine in Kaga City, Ishikawa Pref.

==式内社(小社)、加賀国二宮、旧国幣小社、別表神社==
社伝によれば、第31代用明天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるという。

==2022.09.05
福井県坂井市雄島
大湊神社 (おおみなとじんじゃ)
Ominato Shrine in Sakai City, Fukui Pref.

==式内社(小社)、旧郷社==
白雉年間(650-)の勧請と伝え延喜式内の古社である。往昔異国の軍船が当国へ渡来した時、祭神安島浦三保大明神が現在の陣ヶ岡の地松ヶ原の岡にて於て霊験を顕し夷賊を退治されたという。此の事が後日文武天皇の叡聞に達し大宝元年(701)2月20日三頭の勅使が当地に下向され、3,700余石の社領を寄進された。これより弓矢の神として崇め諸人が参拝祈願の際に弓矢を奉納する様になった。

==2022.09.05
福井県福井市
神明神社 (しんめいじんじゃ)
Shimmei Shrine in Fukui City, Fukui Pref.

==旧県社、別表神社==
社伝によれば、醍醐天皇の時代、内宮足羽御厨(みくりや)の北の庄の某が伊勢皇大神の勧請を願い出て勅許され、延長2年(924)に神霊を足羽神社に祀り、間もなく現在地に社殿を造営して遷座したという。

==2022.09.05
福井県大野市
篠座神社 (しのくらじんじゃ)
Shinokura Shrine in Ono City, Fukui Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
奈良時代初期の養老元年(717)、泰澄大師が麻生津から白山登拝を思い立ち、大野に到着した時、当地に10日ほど過した。白山登拝の後、 再び当地に戻った時、虚空に声があって「我は大己貴命なり。かかる林泉の勝地であるから常に心を楽しませて降遊する」とのお告げがあった。そこで、泰澄大師は一つの祠を営み、影降の尊容を刻んで安置した。これが創祀、創建となる。

==2022.09.05
 福井県大野市
越前大野城跡 (えちぜんおおのじょうあと)
Ruins of Echizen-Ono Castle in Ono City, Fukui Pref.

==続日本100名城==
越前大野城は織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城です。長近はのちに「北陸の小京都」と呼ばれるまちづくりを行っています。江戸時代には土井利房が入城し、以降は土井氏が城主を務めました。現在、本丸跡には昭和43年に建てられた「復興天守」があり、歴代の城主に関する資料が展示されている資料館になっています。

==2022.09.05
福井県大野市
宝慶寺 (ほうきょうじ)
Hokyo-ji Temple in Ono City, Fukui Pref.

==宝慶寺は、弘長元年(1261)、道元を慕って宗より来日した寂円禅師によって開山された曹洞宗の寺院で、曹洞宗における第二道場。永平寺の奥の院、とも言われる。

==2022.09.05
福井県越前市
大瀧神社 (おおたきじんじゃ)
Otaki Shrine in Echizen City, Fukui Pref.

==旧県社、大瀧神社・岡太神社並立==
伝承によれば、養老3年(719)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒権現を建立したという。権現山が御神体山。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
岡太神社は、大瀧神社の創建に先立つ、第26代継体天皇が即位前、まだ当地付近に滞在している頃、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫が川上御前で、和紙の神様・紙祖神として祀られた。大正12年(1923)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実ともに全国紙業界の総鎮守となった。
天保14年(1843)に建立された下宮本拝殿が国の重要文化財に指定されている。

==2022.09.05
福井県越前市
大虫神社 (おおむしじんじゃ)
Omushi Shrine in Echizen City, Fukui Pref.

==式内社(名神大社)、旧県社==
社伝によれば、第10代崇神天皇7年、南越地方を平定・開拓した天津日高彦火火出見命の霊を鬼ヶ嶽の山頂に祀ったのに始まると伝える。国史での初見は、『続日本紀』宝亀11年(780)12月14日条の、越前国丹生郡大虫神ほかに従五位下の神階を授けるという記述。

==2022.09.05
福井県鯖江市
舟津神社 (ふなつじんじゃ)
Funatsu Shrine in Sabae City, Fukui Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
祭神は、崇神天皇御宇の四道将軍の一人として知られる大彦命で、相殿には大山御板神社を祀る。大彦命の北陸道派遣のことは、『古事記』及び『日本書紀』の崇神天皇10年(前88)に見える。成務天皇4年(134)大彦命が舟津の地に勅祭され、猿田彦命を祀る御板神社に孝元天皇が合祀された。


<2022年9月6日>
南越前町「道の駅 南えちぜん山海里」- 越前町 - 敦賀市 - 若狭町 - 高浜町 - 敦賀市 - 福井市 -  石川県金沢市 - 富山県射水市「道の駅 カモンパーク新湊」

==2022.09.06
福井県越前町
劔神社 (つるぎじんじゃ)
Tsurugi Shrine in Echizen Town, Fukui Pref.

==式内社(小社)論社、越前国二宮、旧国幣小社、別表神社==
社伝によれば、御神体となっている剣は、第11代垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣。神功皇后摂政の時代に第14代仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越の国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。

==2022.09.06
福井県敦賀市
常宮神社 (じょうぐうじんじゃ)
Jougu Shrine in Tsuruga City, Fukui Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社==
社伝では、主祭神の天八百萬比咩命は上古より当地に鎮まっていたという。大宝3年(703)に勅命によって社殿の修造がなされ、神功皇后・仲哀天皇・日本武命・応神天皇・玉姫命・武内宿禰命の六柱が合祀されたと伝える。以後は氣比神宮の境外摂社となった。

==2022.09.06
福井県若狭町
宇波西神社 (うわせじんじゃ)
Uwase Shrine in Wakasa Town, Fukui Pref.

==式内社(名神大社)、旧県社==
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊を祀る。初代神武天皇の父に当たる。伝承によれば、大宝元年(701)3月8日、現在の美浜町日向で創建され、上野谷の金向山の麓に遷座した後、大同元年(806)に現在地に遷座した。

==2022.09.06
福井県高浜町
佐伎治神社 (さきちじんじゃ)
Sakichi Shrine in Takahama Town, Fukui Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
中世に社記を焼失したため、創祀・創建の年代や由緒は不詳。しかし、第12代景行天皇が皇子の磐鹿六雁命に若狭国を授けた際には存在していたという。


<2022年9月7日>
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