携帯のSIMは「OCNモバイルONE」を使っています。契約コースは最低容量の「500MB/月コース」で、月額料金は「税込550円」です。
私の通常生活では、この契約容量で全く問題がありません。
ただ問題は、時々出かける一週間程度の車旅のときの状態です。旅先でも、長時間のYouTubeの視聴やゲームなどは行わないので、基本容量で賄えるのですが、問題は、旅の全ルートを案内させている「Yahooカーナビ」です。長期の車旅では、カーナビでの消費量が基本容量を超えることは明白なので、容量無制限の、OCNモバイルONEの二段目超速度制限時に「Yahooカーナビ」が実用的に動作するかを検証しました。

結論から言えば、OCNモバイルONEの二段目速度制限 (60kbps) 時に「Yahooカーナビ」は問題なく完全に動作します。従って、容量無制限の二段目速度制限状態で無限に利用できます。

*OCNモバイルONE の二段速度制限
OCNモバイルONE の通信速度は以下のようになります。
        速度 ...........................................................................    容量     .......... 私の契約
基本容量消費時は高速 ...................................................... 基本容量まで ..... 500MB
基本容量を超えると速度制限 (200kbps) .......................... 基本容量の1/2 .... 250MB
速度制限容量を超えると更に二段目速度制限 (60kbps) ... 容量無制限 ......... 無制限

以前使っていた契約では容量無制限で使えた速度制限 (200kbps) では、Yahooカーナビは完全動作する事を知っていましたので、今回の旅行でも、Yahooカーナビは「節約モード ON」で速度制限状態で使用していました。昨日、別の市へのドライブで速度制限容量を超えたメッセージが出ましたので、以降、二段目速度制限になった事から本検証を行いました。

*通信速度不足時の「Yahooカーナビ」の挙動
かって超田舎の山の中をドライブしていた時、数時間に渡りFOMAプラスさえ届かず圏外となった事が数度ありました。
この時、キャッシュが切れたタイミングでしょうか、「Yahooカーナビ」は「再接続しますか」とか言うようなダイアログを出します。「OK」とか「NO」とかのボタンを押すとダイヤログは消えます。でも、30分位すると又同じダイアログが出ます。で、またボタンを押します。
この様にして、通信途絶でキャッシュがなくなった状態の「Yahooカーナビ」は、ちゃんと道案内を続けます。ルートを示す青い道筋はちゃんと表示されますが、周りの川や横道などは表示されず白紙の状態になります。音声案内は「右に曲がれ」「左に曲がれ」と普通にアナウンスされます。「一時停止」や「踏切」の警告アナウンスがされるかは分かりません。この様な超山奥では「一時停止」や「踏切」はありませんでしたから ・・・
更に、目的地の再設定などは出来ません。初期に設定したルートを辿るのみです。
ただ、この様な状態が長時間に渡り続くかは分かりません。せいぜい2時間程度の通信途絶で、その後は通信再開している経験しかありません。

*今回の検証 (2022.04.20 実施)
1. OCNアプリで「節約モード」スイッチを ON にすると下に示した「速度制限のおしらせ」が出て、低速制限容量を超えている事が分かります。「OK」ボタンを押すと「おしらせ」は消えて、二段目速度制限 (60kbps) の状態になります。
目的地は、車で一時間程掛かる某道の駅にしました。Yahooカーナビでのルート検索は、この超低速下では、停止しているのでは無いかと心配になるほど時間が掛かります。多分一分以上 ・・・
ルート検索は「節約モード」スイッチを OFF にして高速通信下で行い、「道案内」だけ「節約モード」で行うのが実用的と思います。
おしらせ 33per

2. 実際の通信速度
行きと帰りの二回測定した結果を示します。
SuperSlow01 33per
SuperSlow02 33per
言われている制限値 60kbps よりは大きめに表示されましたが、まあ誤差程度ですから、超低速に制限されている事が分かります。

3. Yahooカーナビ の動作
行きと帰りの画面のスクショを示します。
ルート01 33per
ルート02 33per
画面表示は高速通信時と変わりが無いと同様に、現在位置の表示に遅れや異常の発生はなく、各種アナウンスも適切なタイミングでなされ、意図してルート外の道を通った後のリルート動作もいつもと同じ感じで行われます。

4. 結論
二段目速度制限 (60kbps) 下での「Yahooカーナビ」の道案内動作は、高速通信下の動作と違いはありません。但し、目的地設定とルート検索は高速通信下で行うのが実用的でしょう。

2022年4月7出発、4月11日帰着で、静岡県・愛知県・岐阜県へ旅行に行きました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 930km、所要ガソリン量は 42.64L でした。

<2022年4月7日 - 4月11日 全ルート>
静岡愛知 allday

<2022年4月7日>
--- 新潟県十日町市 - 長野県須坂市 - 諏訪市 - 山梨県北杜市 - 甲府市 - 静岡県富士宮市 - 裾野市 - 函南町「道の駅 伊豆ゲートウェイ函南」

==2022.04.07
長野県諏訪市
高島城跡 (たかしまじょうあと)
Ruins of Takashima Castle in Suwa City, Nagano Pref.

==続日本100名城==
直前の 2021.11.16 にも訪れて記録動画を撮りましたが、公園内ばかり撮影して外観が撮れていませんでした。
今回は、改めて外観も含めて撮影し、記録版としました。結果として、2021.11.16撮影版は削除しました。
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。
現在、本丸は高島公園として整備され、本丸の石垣および北側と東側の堀が残る。現在の天守は復興天守で、窓の大きさや位置など多くがオリジナルと異なる。


<2022年4月8日>
「道の駅 伊豆ゲートウェイ函南」- 伊豆の国市 - 河津町 - 下田市 - 伊東市 - 熱海市 - 静岡市 - 焼津市 - 掛川市「道の駅 掛川」

==2022.04.08
静岡県伊豆の国市
廣瀬神社 (ひろせじんじゃ)
Hirise Shrine in Izunokuni City, Shizuoka Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
創祀は不詳。伊豆国の主要なる河川である狩野川の広い瀬に臨んで、その河の神を祀る祭祀が原初ともされる。

==2022.04.08
静岡県下田市
伊古奈比咩命神社 (いこなひめのみことじんじゃ)
Ikonahimenomikoto Shrine in Shimoda City, Shizuoka Pref.

==式内社(名神大社)、旧県社、別表神社==
伊豆最古の宮、通称は白濱神社。
伝承では、主祭神の伊古奈比咩命は、伊豆諸島開拓神の三嶋神の后神であるという。また、三嶋神は三宅島から白浜(当地)、そして伊豆国一宮の三嶋大社(静岡県三島市)へと遷座したとも伝える。

==2022.04.08
静岡県熱海市
伊豆山神社 (いずさんじんじゃ) 
Izusan Shrine in Atami City, Shizuoka Pref.

==式内社(小社)論社、旧国幣小社、別表神社==
社伝によれば、第5代孝昭天皇の御世の創建。古くは、伊豆大権現、走湯大権現など。走湯大権現は、麓の海岸に点在した温泉・間歇泉に由来し、第33代推古天皇3年(594年)に朝廷から贈られた名である。

==2022.04.08
静岡県静岡市
静岡浅間神社 (しずおかせんげんじんじゃ)
Shizuoka-Sengen Shrine in Shizuoka City, Shizuoka Pref.

==式内社(小社)、旧国幣小社、別表神社==
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社の神社の総称。神部神社は第10代崇神天皇の時代の鎮座と伝えられ、国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。

==2022.04.08
静岡県静岡市
臨済寺 (りんざいじ)
Rinzai-ji Temple in Shizuoka City, Shizuoka Pref.

臨済宗妙心寺派の禅寺。戦国大名・今川家の菩提寺。

==2022.04.08
静岡県焼津市
焼津神社 (やいづじんじゃ)
Yaizu Shrine in Yaizu City, Shizuoka Pref.

==式内社(小社)、旧県社、別表神社==
社伝では、第12代景行天皇40年7月に日本武尊は東征に際して当地で野火の難を逃れたとし、後の第18代反正天皇4年に日本武尊の功徳を敬って神社が創建された。

==2022.04.08
静岡県島田市
大井神社 (おおいじんじゃ)
Ooi Shrine in Shimada City, Shizuoka Pref.

==旧県社、別表神社==
創建は不詳。国史では、貞観7年(865年)に駿河国の「大井神」の神階が従五位下に昇叙された旨の記事がある。


<2022年4月9日>
掛川市「道の駅 掛川」- 森町 - 浜松市春野町 - 浜松市 - 愛知県豊川市 - 知立市 - 豊田市 - 犬山市 - 岐阜県大野町「道の駅 パレットピアおおの」

==2022.04.09
静岡県掛川市
事任八幡宮 (ことのままはちまんぐう)
Kotonomama-Hachimangu Shrine in Kakegawa City , Shizuoka Pref.

==式内社(小社)、遠江国一宮、旧県社==
社伝によれば、第13代成務天皇の治世の創建。古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、「延喜式神名帳」には「己等乃麻知神社」と記載されている。

==2022.04.09
静岡県森町
小國神社 (おくにじんじゃ)
Okuni Shrine in Mori Town, Shizuoka, Nagano Pref.

==式内社(小社)、遠江国一宮、旧国幣小社、別表神社==
社伝によれば、欽明天皇16年(555年)2月18日、現在地より6キロほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。

==2022.04.09
静岡県浜松市春野町
秋葉山本宮秋葉神社 (あきはさんほんぐうあきはじんじゃ) 下社
Akihasan-Hongu-Akiha Shrine in Hamamatsu City, Shizuoka Pref.

==旧県社、別表神社==
全国の秋葉神社・秋葉寺などの総本山かつ起源。社伝では和銅2年(709年)に初めて社殿が建立されたと伝える。

==2022.04.09
静岡県浜松市
浜松城跡 (はままつじょうあと)
Ruins of Hamamatsu Castle in Hamamatsu City, Shizuoka Pref.

==続日本100名城==
浜松城は徳川家康の居城として知られ、家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。現在は浜松城公園として整備されており、1958年(昭和33年)に丸岡城天守をモデルとした復興天守が建てられています。

==2022.04.09
静岡県浜松市
五社神社・諏訪神社 (ごしゃじんじゃ・すわじんじゃ)
Gosha Shrine & Suwa Shrine in Hamamatsu City, Shizuoka Pref.

==旧県社、別表神社==
隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして発足した。
諏訪神社は、延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の際、敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まる。

==2022.04.09
愛知県豊川市
砥鹿神社 (とがじんじゃ)
Toga Shrine in Toyokawa City, Aichi Pref.

==式内社(小社)、三河国一宮、旧国幣小社、別表神社==
古代は奥宮のみ存在したが、第42代文武天皇の御代、飛鳥時代末期の大宝年間(701年-704年)に草鹿砥公宣(くさかど きんのぶ)が里宮を建立したという。

==2022.04.09
愛知県知立市
知立神社 (ちりゅうじんじゃ)
Chiryu Shrine in Chiryu City, Aichi Pref.

==式内社(小社)、三河国二宮、旧県社、別表神社==
社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の四柱を祀ったのが創建としている。

==2022.04.09
愛知県豊田市
猿投神社 (さなげじんじゃ)
Sanage Shrine in Toyota City, Aichi Pref.

==式内社(小社)、三河国三宮、旧県社==
宝亀10年(779年)に編纂された縁起書によれば、大碓命は景行天皇52年に猿投山中で蛇毒のために42歳で死去し、山上に葬られたという。猿投山西峯にある西宮の背後に大碓命の墓がある。
社伝によれば、仲哀天皇元年に勅願により現在地に創建されたという。

==2022.04.09
愛知県犬山市
大縣神社 (おおあがたじんじゃ)
Ooagata Shrine in Inuyama City, Aichi Pref.

==式内社(名神大社)、尾張国二宮、旧国幣中社、別表神社==
社伝によれば「第11代垂仁天皇27年に、本宮山の山頂から現在地に移転した」とある。


<2022年4月10日>
岐阜県大野町「道の駅 パレットピアおおの」- 垂井町 - 愛知県津島市 - 稲沢市 - 岐阜県岐阜市 - 下呂市 - 高山市 - 富山市 - 射水市「道の駅 カモンパーク新湊」

==2022.04.10
岐阜県垂井町
伊富岐神社 (いぶきじんじゃ)
Ibuki Shrine in Tarui Town, Gifu Pref.

==式内社(小社)、美濃国二宮、旧県社==
創建時期は不明。和銅6年(713年)には存在していたという。当社の御祭神ははっきりしていない。古代、この地域に勢力があった伊福氏の祖神を祀っている、というのが有力。

==2022.04.10
愛知県津島市
津島神社 (つしまじんじゃ)
Tsushima Shrine in Tsushima City, Aichi Pref.

==旧国幣小社、別表神社==
約3000社ある津島神社・天王社の総本社。
弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られたと伝えられる。

==2022.04.10
愛知県稲沢市
尾張大國霊神社 (おわりおおくにたまじんじゃ)
Owari-Ookunitama Shrine in Inazawa City, Aichi Pref

==式内社(小社)、尾張国総社、旧国幣小社、別表神社==
尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社として一貫して崇敬された。

==2022.04.10
岐阜県岐阜市
伊奈波神社 (いなばじんじゃ)
Inaba Shrine in Gifu City, Gifu Pref.

==式内社(小社)、美濃国三宮、旧国幣小社、別表神社==
第12代景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。

==2022.04.10
岐阜県下呂市
久津八幡宮 (くづはちまんぐう)
Kuzu-Hachimangu Shrine in Gero City, Gifu Pref.

==飛騨国二宮、旧県社==
377年(仁徳天皇65年)、両面宿儺を成敗した武振熊命が、この地に応神天皇を祭祀したと伝えられている。

==2022.04.10
岐阜県高山市
日枝神社 (ひえじんじゃ)
Hie Shrine in Takayama City, Gifu Pref.

春の例祭(4月14日、15日)は、秋の櫻山八幡宮の例祭とともに、日本三大山車祭の一つである高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
永治元年(1141年)、飛騨国国司で三仏寺城城主である飛騨守平時輔が、近江国日吉神社(現 滋賀県大津市の日吉大社)を勧請し、三仏寺城の近くに創建した。

==2022.04.10
岐阜県高山市
櫻山八幡宮 (さくらやまはちまんぐう)

==旧県社、別表神社==
秋の例祭は、春の日枝神社の例祭とともに、日本三大山車祭の一つである高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
第16代仁徳天皇65年、飛騨国に二つの顔を持つ宿儺という賊が現れ、それを討伐するために派遣された難波根子武振熊命が、戦勝祈願のために先代の応神天皇を祀ったのに始まると伝える。


<2022年4月11日>
射水市「道の駅 カモンパーク新湊」- 黒部市 - 新潟県糸魚川市 - 上越市 -----


**** END ****

本日 (2022.04.12) 近くの高校の桜が満開になりました。
昨年は、4月2日 に満開でしたから、遅くなりました。
今年の新入生の記念写真は、蕾の桜の木の下で行われました。



この記事にある様に、2017年の3月に、夏用タイヤとして ダンロップの LE MANS V 185/60/R15 を買いました。
昨年 (2021年) の11月の冬タイヤ交換時に、いつも交換作業をお願いしている整備屋さんの主から 「来春の交換時は新夏タイヤが必要ですよ。何にするか決めておいてくださいね」と、ついに寿命が来たことを告げられました。
スリップサインが見えるまでには余裕がありそうでしたが、5シーズンを経過したので交換することにしました。
で、いろいろ考えて見ても、やっぱり自分には LE MANS V が向いているなと決論を出し、又々 LE MANS V を履くことにしました。
Le Mans V
私の評価
1. 省エネ性 ・・・ 前のブリジストン Plays版 PZ-XC は 「一回の給油で 1000km走っちゃうよ!」なんてことも時々ありましたが、LE MANS V では、そんな経験はありませんでした。そういう意味でイマイチ感があります。
2. 静寂性 ・・・ 走行騒音性能も耐ショック性も満足行くものでした。これが再度 LE MANS V に決めた最大の理由です。
3. ウエット性能 ・・・ 雨天での走行で不安を感じたことはありませんでした。
4. ワインディング性能 ・・・ 下りの峠道をかなりの速度で下っても、不安を感じたことはありませんでした。
6. 耐摩耗性 ・・・ 新品から交換までに 5シーズンを走りましたが、このタイヤでの走行距離は 73,608km でした。まだまたスリップサインには余裕があったので、耐摩耗性も十分と考えられます。

本日 (2021.12.16)、この車の走行距離数が20万キロを超えました。
10万キロを超えたのは、この記事にあるように、四国を旅行中の2016年11月22日でしたが、今回は地元を走行中でした。新車から10万キロまでに三年半、10万キロから20万キロまでに五年間乗ったことになります。
マ~、敢えて距離を稼ぐ必要はありませんが、やはりコロナの影響で旅行に出かける機会が減った事が、走行距離減に繋がっていると思います。
20万キロの殆どは、日本全国の車の旅に費やされましたが、この間一回も交通事故にあっていない事には、神様か、仏様かには感謝しないといけないでしょう。それと交通違反で切符を切られたこともありません。これの感謝する相手は「幸運の女神」でしょうね。


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