2023年3月20日と3月21日の2日間で、新潟県内の旅行に行きました。
春になって車旅を始めるにあたって、日頃放置してある県内をまず初めに訪問することにしました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です。新潟県は大きい (長い) ので1日では回り切れず、2日間の行程となりました。

<2023年3月20日 - 3月21日 全ルート>
新潟 allday

<2023年3月20日>
新潟県長岡市 - 糸魚川市 - 上越市 - 柏崎市 - 長岡市

==2023.03.20
新潟県糸魚川市青海
青海神社 (おうみじんじゃ)
Oumi Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、旧県社==
奈良時代の神亀3年(726年)、椎根津彦命の御分霊を勧請して奉斎したのが始まり。椎根津彦命の後裔が当時の久比岐国造である青海首だという。久比岐が後に頸城に変わった。

==2023.03.20
新潟県糸魚川市
天津神社 (あまつじんじゃ)
Amatsu Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、越後国一宮とされる一社、旧県社==
第12代景行天皇の御世の創建と伝えられ、第36代孝徳天皇の勅願所であったと伝えられている。

==2023.03.20
新潟県糸魚川市能生
能生白山神社 (のうはくさんじんじゃ)
Nou-Hakusan Shrine in Itoigawa City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧郷社==
社伝によれば、第10代崇神天皇10年11月初午の日に創祀された。
奈良時代になり、泰澄やその関係者が当社に仏像を安置し、白山信仰を布教、社号を白山権現に改められたという。小白山権現とも呼ばれた。

==2023.03.20
新潟県上越市
居多神社 (こたじんじゃ)
Kota Shrine in Joetsu City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、越後国一宮の論社、旧県社==
創建は不詳。『頸城郡延喜式神社考』では神代の古跡であると伝える。社地は、慶応2年(1866年)まで現社地の北西約1キロメートルの身輪山に存在したという。

==2023.03.20
新潟県上越市
高田城跡 (たかだじょうあと)
Ruins of Takada Castle in Joetsu City, Niigata Pref.

==続日本100名城==
高田城は徳川家康の六男、松平忠輝の居城として江戸時代の天下普請によって築かれた城です。江戸時代の築城であるにもかかわらず、石垣はなくすべての曲輪に土塁が採用されていますが、これは「大坂冬の陣」の直前で工事を急いだことなどが原因だと考えられています。


<2023年3月21日>
長岡市 - 加茂市 - 新潟市 - 燕市 - 柏崎市 - 長岡市

==2023.03.21
新潟県加茂市
青海神社 (あおみじんじゃ)
Aomi Shrine in Kamo City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社==
奈良時代の神亀3年(726年)、青海郷を開拓した青海首一族が祖神の椎根津彦命と大国魂命を奉斎して、現在地である加茂山の山麓に創建された。
平安時代になり、当地は京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の神領となり、御分霊を勧請して合祀した。

==2023.03.21
新潟県新潟市
白山神社 (はくさんじんじゃ)
Hakusan Shrine in Niigata City, Niigata Pref.

==式内社(小社)論社、旧県社、別表神社==
戦国時代の火災で古記録を失っているため、創建の年代は不詳であるが、平安時代中期とされている。明応年間(1492年-1501年)あるいは正保元年(1644年)に古新潟から現在地に遷座したと伝えられる。

==2023.03.21
新潟県柏崎市西山町
物部神社 (もののべじんじゃ)
Mononobe Shrine in Kashiwazaki City, Niigata Pref.

==式内社(小社)、越後国二宮、旧県社==
社伝によれば、御祭神・二田天物部命は天香山命(越後国一宮の彌彦神社の御祭神)に従って越の国に来臨したという。そして石地(現・柏崎市西山町石地)で天香山命と別れたのち、多岐佐加の二田を献上する者がいたので、その地に居を定めて里を「二田」と称したと伝える。

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