2015年07月

「江別市江別太」
北海道に来たら是非訪れたい場所の一番が「江別市江別太」でした。
「江別太」は漢字は知っていたのですが、現地の道路標識で EBETSUBUTO と発音する事を確認出来ました。しかし 「ブト」 とは何ともエレガントで無い発音だなと思ったのですが、最近、アイヌ語が基になっている事を知りました。更には、北海道には「太」の付いた地名が多くある事も ・・

ここは新潟県長岡を基盤とする「北越殖民社」が明治19年 (1886) から「越後村」として越後の農民を入植させ開拓を行った場所です。
北越殖民社の初代社長である大橋一蔵は開拓事業に参加する以前に、私学の開設に参加し、そこの校長を務めていました。その私学は明治29年に閉校になりますが校舎は残り、小学校の校舎として使用されていました。
私は、その小学校を卒業したのです。その校舎で学んだ関係から大橋一蔵には因縁を感じ、ここ江別太を訪れたという訳です。

<千古園>
大橋一蔵の後を継いで北越殖民社の二代目社長となった関矢孫左衛門の屋敷跡の公園
01_千古園
02_千古園看板

<農村公園>
向こうの葦原の先が沼になっていて「越後沼」というらしい。
越後の開拓民の名残を求めてやって来ました。
03_農村公園

<江別太の風景>
殖民社に依る開拓地と思われる付近で写真を撮りました。
当時は原生林を切り開きながらの開拓で、大変な苦労があったのでしょうが、いま見れば、のどかに広がる農地です。
04_江別太

「苫前町三毛別」
江別太の後は「苫前町三毛別」に向かいました。
7月17日に苫前町の道の駅に寄ったら、町の PRパンフレットに、ここが有名な大正4年 (1915) の「三毛別羆事件」の発生場所である事が書いてありました。私の北海道に関する数少ない知識の一つであったので、早速山側に車を走らせ場所を探したのですが、標識も無く、ナビにも出てこず、この時は諦めました。
で、再チャレンジと言う訳です。
一目散に車を走らせ、午後四時半頃に現地に到着しました。
私の後からもう一台車が来て、この時はこの二台だけでした。
<事件の説明看板>
05_ヒグマ看板

<再現された開拓民家と襲う羆>
06_ヒグマと家

<民家の内側>
07_家の内部
「え、え~?!」って感じですよね
丸太を荒縄で縛って柱にし、葦みたいな草を編んだものを壁として使っている。「嘘だろう! こんなもので北海道の冬を乗り切れる筈が無い!!」
と私も思いましたですよ、「三内丸山遺跡の縄文人の住居の方がヌクヌク、暖かじゃね~か!」

でも、嘘じゃ無い気がしてきました。
前述の 北越殖民社の記録を見ると、殖民社から開拓民に支給された住居は、「初期段階は 3間  x 5間の杣家、その後は笹小屋」とあります。杣家とはどんなものか分かりませんが、「笹小屋」はGoogleの画像検索で出てきます。多分、笹小屋の方が杣家より新しいので、より良い条件のものと考えられますが、その笹小屋は この住居と変わりはありません。
see 資料
最近でも、山菜取りを生業とする人たちは、山中での一、二か月の生活は この様な仮小屋で過ごしていました。そのままの形態が、厳寒の北海道に持ち込まれたと考えざるを得ません。

更に
「え、え~?!」って感じるのは、ここの場所の立地です。
山と山の間の川筋は、下流側では山と山の間に そこそこ平坦な場所があり、そこが農地にされています。
ここは、もはや山と山が近接し、平地が無い渓谷に近い感じの場所です。
何故こんな場所に入植したのか??
北越殖民社の一戸当たり開拓面積は 5町歩、ここは下流側の住民 10戸強を合わせても全部で 2町歩あるのでしょうか?
1986年には ふんだんにあった開拓用の土地が、1915年には この様な土地しか残っていない状態だったのでしょうか?
北海道の広大な風景を見慣れた目には、最大の疑問に映ります。
<三毛別の立地>
08_ヒグマ現地

松前城を見学している時、城内にイチジクの木があるのに気づきました。
北海道にもイチジクはあるのか、と驚きました。
50年前、私の一年下として、北海道出身の新入社員がやって来ました。釧路の出身でした。
先ず驚いたのが、カナズチ、泳げない。当時は、北海道の学校にはプールは無かったのでしょうね。
そんな彼がイチジクを見て「初めて見た。北海道にはイチジクは無い」と言ったのを思い出します。それ以来、私は「北海道にはイチジクは無い」と思い込んでいました。

松前の町には「松前漬け」の店があるのですね。それも老舗を感じさせる店が・・
「松前なんだから松前漬けの店があるのは当たり前だろう」と言われるかもしれませんが、私には市販の材料から自宅で作るものイメージが強く、老舗を張るとは意外でした。
 松前城

函館に入り、五稜郭を見学しようと駐車場を探しましたが見つけられませんでした。
五稜郭というのはもっと郊外にあるのかと思っていましたが、町のど真ん中にあるのですね。
諦めて夕食を予定していた食堂に向かうべく、コンビニの駐車場に入ってカーナビで検索を始めました。
検索で予定していた店は直ぐに見つかったのですが、「ここへ行く」ボタンを押すと「検索出来ません」と言う様なエラーメッセージが出てルート候補の表示がされません。
「変だな!」と思いながら再操作しても、更に再操作してもエラーメッセージは変わりません。
車のスイッチを切ってエンジンを止める事を二回やってみましたがエラーメッセージは変わりません。
「やばい、カーナビが壊れた!」脂汗が流れました。
カーナビ無しには一歩も動ける感じがしません。未知の土地で、地元民の様に気楽に走れてきたのは全てカーナビのお蔭だった事を悟りました。
「なんとか小樽までたどり着いて、帰るしかないな」と思いました。

「とも角、食堂まで何とか」と持っていたタブレットのGoogleマップを立ち上げ、「食堂の場所はこの辺り」と「自分の位置表示のマーク」とを睨みながら食堂に向かいました。(この時は未だ Googleマップにカーナビ機能がある事を知らなかったのです)
「この辺り」と到着した場所には目的の食堂はありませんでした。間違った場所に来た訳です。
近くの駐車できる場所に車を停めて、さてどうしたものかと考えました。
「そうそう、スマホで使える無料のカーナビアプリがあるはずだが」と気が付き、ネット検索すると「Yahooカーナビ」が出てきました。
で、早速タブレットに「Yahooカーナビ」をインストールしました。
立ち上げて、しばらくいじくると車のカーナビと変わりなく使える事が分かりました。
「素晴らしい! これで北海道旅行が続けられる!」
YahooCarNavi

翌日の朝になると、何故か車のカーナビは正常になっていました。でも二番目の位置づけとなりました。
インストールした「Yahooカーナビ」は使いやすい感じなので、暫くはこれをメインに使用する事にしました。

襟裳岬に向かう道で、山が迫った磯沿いを走っていると、海に小船が多く出て作業をしていました。
更に走ると、クレーン付きの軽トラックで船から昆布を積み込んでいる場所がありました。
昆布の収穫を行っている訳です。ダンプカーの軽トラは見た事がありますが、クレーン付きの軽トラを見たのは初めてです。
<軽トラ写真 某所からの頂きもの>
軽トラ
 
「昆布干しは何処かな?」と通り過ぎる回りを見渡しましたが、その様な所は見当たりません。
暫く走って集落に入ると、ありました、昆布干しが!昆布干しは自宅の庭か、自宅近くの海岸でやるものなのですね!
その様な場所は砂利と言うか、砕石が敷いてありました。昆布の表面ばかりでなく、裏面の砕石と砕石の間も空気に触れて乾燥が進む工夫なのでしょう。
珍しいので、車を降りて写真を撮りました。
景色的には、写真でも分かる様に山が迫り、「黄金道路」とか名付けても、本州側各地の海岸道路と変わり映えは無く、北海道らしさはありません。
<えりも町庶野にて>
昆布干し
 

本州側では、朝6時半頃に山間の道を走っていると、ニホンザルが道端や民家の垣根などにいるのが頻繁に見かけられます。
これが北海道では、エゾシカに変わります。北海道全体に、道路に「鹿の飛出しに注意」の看板があり、実際に生息数が多いのが感じられます。
写真は、オホーツク側の道を走っている時撮影したものです。
鹿は、こちらを警戒して、立ち止まったり、逃げ去ったりしますが、キタキツネは車の方に寄ってきます。観光客からエサを貰うのに慣れてしまっているのでしょうか? それとも、そういう性格なのでしょうか?車のドアの所まで寄ってきましたが、ドアは開けませんでした。「エキノコックス」が怖いですからね。
その性格のせいなのか、道路上で跳ねられて死んでいたものは四体見ましたが、三体はキツネで、一体は小鹿でした。
「飛び出して来た鹿に衝突するなんて、なんて前方不注意なんだ!」と考えていましたが、函館の手前で、10m位前に飛び出してきた鹿に危うく衝突しそうになりました。鹿が走り過ぎたから何とか回避出来たものの、止まったら完全に衝突したところでした。
<知床半島にて>
01_shika_shretoko_01
<知床半島にて>
02_shika_shretoko_02
<知床半島にて>
03_kitune__shretoko_01
<風蓮湖の砂洲側にて>
04_shika_fuuren_03




↑このページのトップヘ