先回、2023年4月5日出発、4月15日帰着で、九州各県へ旅行に行きました。その後ちょっとしたトラブルにかまけていたら暑い季節に突入し、車中泊など無理な季節となりました。更に今年は、9月中旬でも35℃超えの猛烈な残暑で、車旅は無理な状態が続きました。
なんとか、東北なら夜の気温が快適な温度を示し始めた9月23日を出発日として、山形、秋田、岩手、宮城、福島 を巡る旅に出ました。主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です。9月の一回目の走行距離は 675km、所要ガソリン量は 30.85L でした。
<2023年9月23日 - 9月27日 及び 10月7日 -10月8日 全ルート>
<2023年9月23日>
--- 新潟県胎内市 - 山形県小国町 - 長井市 - 白鷹町 - 山形市 - 寒河江市「道の駅 寒河江」
==2023.09.23--01
山形県白鷹町
鮎貝八幡宮 (あゆかいはちまんぐう)
Ayukai-Hachiman-Gu Shrine in Shirataka Town, Yamagata Pref.
==旧県社、別表神社
康平3年(1060年)、鎮守府将軍としてこの地に下降した源義家が八幡神を勧請し、錦旗を神体として社地を定めて祀ったのに始まると伝えられる。江戸時代には領主・上杉氏の祈願所とされ、近隣18か村の総鎮守と定められた。明治31年(1898年)鮎貝城本丸跡の現在地に社殿を移築し、遷座した。
康平3年(1060年)、鎮守府将軍としてこの地に下降した源義家が八幡神を勧請し、錦旗を神体として社地を定めて祀ったのに始まると伝えられる。江戸時代には領主・上杉氏の祈願所とされ、近隣18か村の総鎮守と定められた。明治31年(1898年)鮎貝城本丸跡の現在地に社殿を移築し、遷座した。
==2023.09.23--02
山形県山形市
鳥海月山両所宮 (ちょうかいがっさんりょうしょぐう)
Choukai-Gassan Ryosho-Gu Shrine in Yamagata City, Yamagata Pref.
==旧県社、別表神社
社伝では、源頼義が安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の鳥海山両所神社で鳥海・月山の両神に戦勝を祈願し、勝利したので、康平6年(1063年)、その報賽として最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請し、国家泰平・武門吉事の神と称したのに始まると伝える。
==2023.09.23--03
山形県寒河江市
寒河江八幡宮 (さがえはちまんぐう)
Sagae-Hachiman-Gu Shrine in Sagae City, Yamagata Pref.
==旧県社、別表神社
社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える。
==2023.09.23--04
山形県河北町
谷地八幡宮 (やちはちまんぐう)
Yachi-Hachiman-Gu Shrine in Kahoku Town, Yamagata Pref.
==旧県社、別表神社
寛治5年(1091年)、鎮守府将軍・源義家が、神恩に感謝して石清水から白鳥村(現 村山市白鳥近辺)に八幡神を勧請して祭祀を行ったのに始まると伝えられる。天正年間(1573年-1592年)頃、谷地城主・白鳥長久が白鳥村から現在地に遷し、鎮守とした。
<2023年9月24日>
山形県寒河江市「道の駅 寒河江」- 新庄市 - 秋田県湯沢市 - 横手市 - 大仙市 - 岩手県雫石町 - 紫波町 - 花巻市「道の駅 石鳥谷」
==2023.09.24--01
秋田県横手市
金澤八幡宮 (かねざわはちまんぐう)
Kanezawa-Hachiman-Gu Shrine in Yokote City, Akita Pref.
==旧県社
後三年の役(1083年-1087年)で奥羽を平定した河内源氏の源義家が、奥州藤原氏初代の藤原清衡に命じ、京都の石清水八幡宮の八幡神を、陥落させた金沢柵跡に勧請し、社殿を創建した。その際は金澤八幡神社と称した。
==2023.09.24--02
秋田県横手市
保呂羽山波宇志別神社神楽殿 (ほろわさんはうしわけじんじゃ かぐらでん)
Kagura hall of Horowasan-Haushiwake Shrine in Yokote City, Akita Pref.
==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば757年(天平宝字1年)、大友吉親が大和国吉野金峰山の蔵王権現を勧請し現在地に創建したという。秋田県に所在する式内社3社のうちの一つで、唯一断絶することなく現在に至る。
本殿は山中にあり参拝は難しいが、こちらは付属の神楽殿で道路近くにある。国の重要文化財に指定されている。
==2023.09.24--03
秋田県美郷町
秋田諏訪宮 (あきたすわぐう)
Akita-Suwa-Gu Shrine in Misato Town, Akita Pref.
==旧県社、別表神社
延暦21年(802年)、坂上田村麻呂の命により、信濃国から諏訪大神(諏訪大社の御分霊)を奉じて「拂田柵」を造営中の副将軍文室綿麻呂により柵の南に創建。
==2023.09.24--04
岩手県紫波町
志和稲荷神社 (しわいなりじんじゃ)
Shiwa-Inari Shrine in Shiwa Town, Iwate Pref.
==旧県社、別表神社
天喜5年(1057年)、源頼義が安倍頼時・貞任父子追討(前九年の役)のために陣ヶ岡に布陣した際に、戦勝を祈願して京の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創祀したと伝える。
室町時代を通じて斯波郡郡主である斯波氏から崇敬され、天正16年(1588年)には斯波詮直による社殿の造営も行われたが、同年詮直が南部信直に逐われると、南部氏が代わって崇敬するようになった。
==2023.09.24--05
岩手県紫波町
志賀理和氣神社 (しがりわけじんじゃ)
Shigariwake Shrine in Shiwa Town, Iwate Pref.
==式内社(小)、旧県社
日本最北端に位置する式内社として知られる。社伝では、平安時代の延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が東北開拓守護神として香取神・鹿島神を勧請したことに始まるという。
国史での初見は、仁寿2年(852年)に「志賀理和気神」の神階が正五位下に昇叙された旨の記事であるが、内容からして仁寿以前から神階を有する官社であったと見られている。延長5年(927年)成立の「延喜式」神名帳では陸奥国斯波郡に「志賀理和気神社」と記載され、式内社に列している。
令和3年末に新社殿に遷座された。
==2023.09.24--06
岩手県花巻市
三熊野神社 (みくまのじんじゃ)
Mikumano Shrine in Hanamaki City, Iwate Pref.
==旧村社 ==毘沙門天立像、毘沙門堂 共に重文
社伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷征討に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って、紀伊熊野三山に戦勝を祈願したのが始まり。戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に紀伊熊野三山の神を勧請して創祀したという。
例祭は9月19日。十二番角力式(じゅうにばんすもうしき)が奉納される。いわゆる幼児による泣き相撲の相撲神事。
<2023年9月25日>
岩手県花巻市「道の駅 石鳥谷」- 花巻市大迫町 - 遠野市 - 奥州市 - 一関市 - 宮城県気仙沼市「道の駅 大谷海岸」
==2023.09.25--01
岩手県花巻市大迫町
早池峰神社 (花巻市) (はやちねじんじゃ)
Hayachine Shrine in Hanamaki City, Iwate Pref.
==旧県社
平安時代初期の大同2年(807年)、田中兵部・始閣藤蔵の2人が山頂に姫大神を祀ったことに始まる。重要無形民俗文化財に指定されている「早池峰神楽」が知られている。
東西南北の各登山口にある4つの「早池峰神社」の西の神社、早池峰山山頂に独自の「奥宮」が在る。
==2023.09.25--02
岩手県遠野市附馬牛町
早池峯神社 (遠野市) (はやちねじんじゃ)
Hayachine Shrine in Tono City, Iwate Pref.
==無格社
創祀は大同元年(807年)3月8日。猟師藤蔵が早池峰山中で十一面観音の尊像に遭遇、感銘して、山道を拓いてその年の6月18日山頂に七尺余りの宮を創建して祀ったのが始まり。
東西南北の各登山口にある4つの「早池峰神社」の南の神社、早池峰山山頂に独自の「奥宮」が在る。
==2023.09.25--03
岩手県奥州市
鎮守府八幡宮 (ちんじゅふはちまんぐう)
Chinjufu-Hachiman-Gu Shrine in Oshu City, Iwate Pref.
==旧県社
延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が東奥鎮撫のとき当地に胆沢城を築き、鎮守府を置き、城の北東の地に豊前国(大分県)宇佐八幡神の神霊を勧請し、鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神としたと伝えられる。
==2023.09.25--04
岩手県奥州市
日高神社 (ひたかじんじゃ)
Hitaka Shrine in Oshu City, Iwate Pref.
==旧郷社 ==本殿 : 重文
この地の首魁アテルイが降伏し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の弘仁元年(810年)に、第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請して創建されたと伝えられる。
==2023.09.25--05
岩手県一関市
配志和神社 (はいしわじんじゃ)
Haishiwa Shrine in Ichinosaki City, Iwate Pref.
==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊東征の際、当地に陣を布き、磐座山(九本松)に登って三神を鎮斎し戦勝を祈願、東奥鎮護の神として祠を建てた。この祠が火石輪(ほしわ)神社と称され、やがて配志和に転じたといわれる。文徳実録仁寿2年(852年)8月7日条に配志和神が従五位を授けられた旨の記述がある。
==2023.09.25--06
岩手県一関市室根町
室根神社 (むろねじんじゃ)
Murone Shrine in Ichinosaki City, Iwate Pref.
==旧県社
養老2年(718年)、元正天皇の勅命を受けた鎮守府将軍である大野東人が、蝦夷降伏の祈願所として、紀州(和歌山県本宮町)から熊野大社(熊野本宮大社)の御神霊を迎え祀ったことに始まると伝える。
本宮と新宮からなり、本宮は紀州熊野大社、新宮は那智速玉大社から勧請。
<2023年9月26日>
宮城県気仙沼市「道の駅 大谷海岸」- 宮城県南三陸町 - 石巻市 - 涌谷町 - 塩竈市 - 仙台市 - 亘理町 - 白石市 - 福島県国見町「道の駅 国見」
==2023.09.26--01
宮城県石巻市
鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)
Kashima-Miko Shrine in Ishinomaki City, Miyagi Pref.
==式内社(小社)、旧県社
創建は不詳。『日本三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社」のうちの牡鹿郡の一社である。
==2023.09.26--02
宮城県涌谷町
黄金山神社 (こがねやまじんじゃ)
Koganeyama Shrine in Wakuya Town, Miyagi Pref.
==式内社(小社)、旧県社
聖武天皇に依る大仏建立に於ける鍍金用の金は国内での産出は無く、全て輸入に頼っていたところ、天平21年(749年)正月4日に陸奥国守百済王敬福が管内の小田郡で産出した黄金900両(13kg)を貢上した。天皇は大変喜び、年号を「天平」から「天平感宝」へと改めたほどです。地方の神社として存在していた黄金山神社は、天平産金に縁起を有したことにより、『延喜式神名帳』に登載され、延喜式内社という由緒ある社、国家の神社となりました。
==2023.09.26--03
宮城県七ヶ浜町
鼻節神社 (はなぶしじんじゃ)
Hanabushi Shrine in Shichigahama Town, Miyagi Pref.
==式内社(名神大社)、旧村社
社伝によれば、鹽竃神社と同じという神が神代に存し、御舟にて鼻節浜に上陸、孝安天皇の時代に「ほうが崎」に鎮座があり、舒明天皇2年(630年)に初めて圭田(祭祀用として天子から賜る田)43束を奉り神事を行ったという。その後光仁天皇の宝亀元年(770年)、「ほうが崎」は風が強く、度々社殿が破損したので現在の鎮座地である垂水山に移ったとされる。
===2023.09.26--04
宮城県多賀城市
陸奥総社宮 (むつそうしゃのみや)
Mutsu-Soshanomiya Shrine in Tagajo City, Miyagi Pref.
==陸奥国総社論社、旧村社
陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない。
==2023.09.26--05
宮城県名取市
熊野神社 (くまのじんじゃ)
Kumano Shrine in Natori City, Miyagi Pref.
==旧県社
平安時代の保安4年(1123年)、紀州熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つとして創建された。名取熊野三社の中心的存在
===2023.09.26--06
宮城県亘理町
鹿島天足和気神社 (かしまあまたらしわけじんじゃ)
Kashima-Amatarashiwake Shrine in Watari Town, Miyagi Pref.
==式内社(小社)、旧郷社
景行天皇41年(111年)8月6日、日本武尊により現在の鎮座地の北にある神宮寺地区字ヲフロの三門山へと勧請されたと伝わる。清和天皇の御世の貞観4年(862年)壬午6月15日に官社に列し「鹿島宮」と称するようになり、同年同月18日には従四位上が授けられた。
=2023.09.26--07
宮城県大河原町
大高山神社 (おおたかやまじんじゃ)
Otakayama Shrine in Ogawara Town, Miyagi Pref.
==式内社(名神大社)、旧郷社
社伝によれば、大高山神社は敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたという。『続日本後紀』によれば、承和9年(842年)には従五位下の神階を授けられ、貞観11年(869年)3月には従五位上に昇叙した。
===2023.09.26--08
宮城県蔵王町
刈田嶺神社 (かったみねじんじゃ)
Kattamine Shrine in Zao Town, Miyagi Pref.
==式内社(名神大社)論社、旧郷社
蔵王連峰の刈田岳(標高1,758m)山頂の「刈田嶺神社」を「奥宮」、当社を「里宮」と言う。「蔵王連峰」の "蔵王" は、かつて両宮が祀っていた蔵王権現に由来する。
社伝では、役小角が白鳳8年(679年)に大和国に蔵王権現、即ち、天之水分、国之水分、二柱の御神霊を鎮座した吉野山から、不忘山に蔵王権現を奉還して、山名も「蔵王山」と改めるに至った。平安時代後期の前九年の役の頃になると、安倍氏が当社を己が氏神として神殿の改築したという。
<2023年9月27日>
福島県国見町「道の駅 国見」- 福島市 - 本宮市 - 郡山市熱海町 - 猪苗代町 - 会津坂下町 - 新潟県阿賀町 - 加茂市 ----
朝から本降りの雨で、予定していた福島県内の訪問予定地は次回とし、自宅への帰還の日としました。
以下は、前回はのがした福島県内への訪問記録です。
<2023年10月7日>
--- 新潟県魚沼市 - 福島県只見町 - 南会津町 - 天栄村 - 平田村 - いわき市「道の駅 よつくら港」
==2023.10.07--01
福島県須賀川市桙衝
桙衝神社 (ほこつきじんじゃ)
Hokotsuki Shrine in Sukagawa City, Fukushima Pref.
==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際、亀居山に柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌神(建御雷命)を祀ったのが創祀とする。
==2023.10.07--02
福島県いわき市
佐麻久嶺神社 (さまくみねじんじゃ)
Samakumine Shrine in Iwaki City, Fukushima Pref.
==式内社(小社)、旧郷社
社伝によると、慶雲元年(704年)4月7日、紀伊国名草郡の日前国懸大神の祭神一柱の分霊を勧請したのを創祀とする。
<2023年10月8日>
福島県いわき市「道の駅 よつくら港」- 南相馬市 - 飯舘村 - 福島市 - 本宮市 - 郡山市熱海町 - 猪苗代町 - 会津坂下町 - 新潟県阿賀町 - 加茂市 ---
==2023.10.08--01
福島県南相馬市
多珂神社 (たかじんじゃ)
Taka Shrine in Minami-Soma City, Fukushima Pref.
==式内社(名神大社)論社。旧県社
当社は陸奥国行方郡に鎮座する延喜式内社八座の首座。「多賀神社」の名を持つ神社の中で全国で唯一の名神大社で、東北地方の多賀神社は当社を根源とするものだともいわれる。
由緒は不詳だが、創建は第12代景行天皇40年に、東征のためにこの地を訪れた日本武尊により、戦勝祈願のために勧請されたと伝えられる。
==2023.10.08--02
福島県福島市
白和瀬神社 (しらわせじんじゃ)
Shirawase Shrine in Fukushima City, Fukushima Pref.
==式内社(小社)、旧県社
大化元年(645年)、現在地より北西2キロのの烏帽子岳頂上に鎮座したのが創祀。御祭神は日本武尊。しかし、地勢が急峻で参拝に不便だったため、天正年間(1573年-1591年)に現在地である折戸の地に遷座した。
実は、福島市の「福島稲荷神社」と、二本松市の「二本松神社」も今回の訪問予定先だったのですが、両社とも当日は祭礼日で、人混みが酷く、付近一帯は通行も制限されている状態で駐車は出来ませんでした。
今回はこれまでとして、帰途に付きました。
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