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先回、2023年4月5日出発、4月15日帰着で、九州各県へ旅行に行きました。その後ちょっとしたトラブルにかまけていたら暑い季節に突入し、車中泊など無理な季節となりました。更に今年は、9月中旬でも35℃超えの猛烈な残暑で、車旅は無理な状態が続きました。
なんとか、東北なら夜の気温が快適な温度を示し始めた9月23日を出発日として、山形、秋田、岩手、宮城、福島 を巡る旅に出ました。主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です。9月の一回目の走行距離は 675km、所要ガソリン量は 30.85L でした。

<2023年9月23日 - 9月27日 及び 10月7日 -10月8日 全ルート>
東北 alldays


<2023年9月23日>
--- 新潟県胎内市 - 山形県小国町 - 長井市 - 白鷹町 - 山形市 - 寒河江市「道の駅 寒河江」

==2023.09.23--01
山形県白鷹町
鮎貝八幡宮 (あゆかいはちまんぐう)
Ayukai-Hachiman-Gu Shrine in Shirataka Town, Yamagata Pref.
==旧県社、別表神社
康平3年(1060年)、鎮守府将軍としてこの地に下降した源義家が八幡神を勧請し、錦旗を神体として社地を定めて祀ったのに始まると伝えられる。江戸時代には領主・上杉氏の祈願所とされ、近隣18か村の総鎮守と定められた。明治31年(1898年)鮎貝城本丸跡の現在地に社殿を移築し、遷座した。

==2023.09.23--02
山形県山形市
鳥海月山両所宮 (ちょうかいがっさんりょうしょぐう)
Choukai-Gassan Ryosho-Gu Shrine in Yamagata City, Yamagata Pref.

==旧県社、別表神社
社伝では、源頼義が安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の鳥海山両所神社で鳥海・月山の両神に戦勝を祈願し、勝利したので、康平6年(1063年)、その報賽として最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請し、国家泰平・武門吉事の神と称したのに始まると伝える。

==2023.09.23--03
山形県寒河江市
寒河江八幡宮 (さがえはちまんぐう)
Sagae-Hachiman-Gu Shrine in Sagae City, Yamagata Pref.

==旧県社、別表神社
社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える。

==2023.09.23--04
山形県河北町
谷地八幡宮 (やちはちまんぐう)
Yachi-Hachiman-Gu Shrine in Kahoku Town, Yamagata Pref.

==旧県社、別表神社
寛治5年(1091年)、鎮守府将軍・源義家が、神恩に感謝して石清水から白鳥村(現 村山市白鳥近辺)に八幡神を勧請して祭祀を行ったのに始まると伝えられる。天正年間(1573年-1592年)頃、谷地城主・白鳥長久が白鳥村から現在地に遷し、鎮守とした。


<2023年9月24日>
山形県寒河江市「道の駅 寒河江」- 新庄市 - 秋田県湯沢市 - 横手市 - 大仙市 - 岩手県雫石町 - 紫波町 - 花巻市「道の駅 石鳥谷」

==2023.09.24--01
秋田県横手市
金澤八幡宮 (かねざわはちまんぐう)
Kanezawa-Hachiman-Gu Shrine in Yokote City, Akita Pref.

==旧県社
後三年の役(1083年-1087年)で奥羽を平定した河内源氏の源義家が、奥州藤原氏初代の藤原清衡に命じ、京都の石清水八幡宮の八幡神を、陥落させた金沢柵跡に勧請し、社殿を創建した。その際は金澤八幡神社と称した。

==2023.09.24--02
秋田県横手市
保呂羽山波宇志別神社神楽殿 (ほろわさんはうしわけじんじゃ かぐらでん)
Kagura hall of Horowasan-Haushiwake Shrine in Yokote City, Akita Pref.

==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば757年(天平宝字1年)、大友吉親が大和国吉野金峰山の蔵王権現を勧請し現在地に創建したという。秋田県に所在する式内社3社のうちの一つで、唯一断絶することなく現在に至る。
本殿は山中にあり参拝は難しいが、こちらは付属の神楽殿で道路近くにある。国の重要文化財に指定されている。

==2023.09.24--03
秋田県美郷町
秋田諏訪宮 (あきたすわぐう)
Akita-Suwa-Gu Shrine in Misato Town, Akita Pref.

==旧県社、別表神社
延暦21年(802年)、坂上田村麻呂の命により、信濃国から諏訪大神(諏訪大社の御分霊)を奉じて「拂田柵」を造営中の副将軍文室綿麻呂により柵の南に創建。

==2023.09.24--04
岩手県紫波町
志和稲荷神社 (しわいなりじんじゃ)
Shiwa-Inari Shrine in Shiwa Town, Iwate Pref.

==旧県社、別表神社
天喜5年(1057年)、源頼義が安倍頼時・貞任父子追討(前九年の役)のために陣ヶ岡に布陣した際に、戦勝を祈願して京の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創祀したと伝える。
室町時代を通じて斯波郡郡主である斯波氏から崇敬され、天正16年(1588年)には斯波詮直による社殿の造営も行われたが、同年詮直が南部信直に逐われると、南部氏が代わって崇敬するようになった。

==2023.09.24--05
岩手県紫波町
志賀理和氣神社 (しがりわけじんじゃ)
Shigariwake Shrine in Shiwa Town, Iwate Pref.

==式内社(小)、旧県社
日本最北端に位置する式内社として知られる。社伝では、平安時代の延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が東北開拓守護神として香取神・鹿島神を勧請したことに始まるという。
国史での初見は、仁寿2年(852年)に「志賀理和気神」の神階が正五位下に昇叙された旨の記事であるが、内容からして仁寿以前から神階を有する官社であったと見られている。延長5年(927年)成立の「延喜式」神名帳では陸奥国斯波郡に「志賀理和気神社」と記載され、式内社に列している。
令和3年末に新社殿に遷座された。

==2023.09.24--06
岩手県花巻市
三熊野神社 (みくまのじんじゃ)
Mikumano Shrine in Hanamaki City, Iwate Pref.

==旧村社 ==毘沙門天立像、毘沙門堂 共に重文
社伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷征討に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って、紀伊熊野三山に戦勝を祈願したのが始まり。戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に紀伊熊野三山の神を勧請して創祀したという。
例祭は9月19日。十二番角力式(じゅうにばんすもうしき)が奉納される。いわゆる幼児による泣き相撲の相撲神事。


<2023年9月25日>
岩手県花巻市「道の駅 石鳥谷」- 花巻市大迫町 - 遠野市 - 奥州市 -  一関市 - 宮城県気仙沼市「道の駅 大谷海岸」

==2023.09.25--01
岩手県花巻市大迫町
早池峰神社 (花巻市) (はやちねじんじゃ)
Hayachine Shrine in Hanamaki City, Iwate Pref.

==旧県社
平安時代初期の大同2年(807年)、田中兵部・始閣藤蔵の2人が山頂に姫大神を祀ったことに始まる。重要無形民俗文化財に指定されている「早池峰神楽」が知られている。
東西南北の各登山口にある4つの「早池峰神社」の西の神社、早池峰山山頂に独自の「奥宮」が在る。

==2023.09.25--02
岩手県遠野市附馬牛町
早池峯神社 (遠野市) (はやちねじんじゃ)
Hayachine Shrine in Tono City, Iwate Pref.

==無格社
創祀は大同元年(807年)3月8日。猟師藤蔵が早池峰山中で十一面観音の尊像に遭遇、感銘して、山道を拓いてその年の6月18日山頂に七尺余りの宮を創建して祀ったのが始まり。
東西南北の各登山口にある4つの「早池峰神社」の南の神社、早池峰山山頂に独自の「奥宮」が在る。

==2023.09.25--03
岩手県奥州市
鎮守府八幡宮 (ちんじゅふはちまんぐう)
Chinjufu-Hachiman-Gu Shrine in Oshu City, Iwate Pref.

==旧県社
延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が東奥鎮撫のとき当地に胆沢城を築き、鎮守府を置き、城の北東の地に豊前国(大分県)宇佐八幡神の神霊を勧請し、鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神としたと伝えられる。

==2023.09.25--04
岩手県奥州市
日高神社 (ひたかじんじゃ)
Hitaka Shrine in Oshu City, Iwate Pref.

==旧郷社  ==本殿 : 重文
この地の首魁アテルイが降伏し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の弘仁元年(810年)に、第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請して創建されたと伝えられる。

==2023.09.25--05
岩手県一関市
配志和神社 (はいしわじんじゃ)
Haishiwa Shrine in Ichinosaki City, Iwate Pref.

==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊東征の際、当地に陣を布き、磐座山(九本松)に登って三神を鎮斎し戦勝を祈願、東奥鎮護の神として祠を建てた。この祠が火石輪(ほしわ)神社と称され、やがて配志和に転じたといわれる。文徳実録仁寿2年(852年)8月7日条に配志和神が従五位を授けられた旨の記述がある。

==2023.09.25--06
岩手県一関市室根町
室根神社 (むろねじんじゃ)
Murone Shrine in Ichinosaki City, Iwate Pref.

==旧県社
養老2年(718年)、元正天皇の勅命を受けた鎮守府将軍である大野東人が、蝦夷降伏の祈願所として、紀州(和歌山県本宮町)から熊野大社(熊野本宮大社)の御神霊を迎え祀ったことに始まると伝える。
本宮と新宮からなり、本宮は紀州熊野大社、新宮は那智速玉大社から勧請。


<2023年9月26日>
宮城県気仙沼市「道の駅 大谷海岸」-  宮城県南三陸町 - 石巻市 - 涌谷町 - 塩竈市 -  仙台市 - 亘理町 - 白石市 - 福島県国見町「道の駅 国見」

==2023.09.26--01
宮城県石巻市
鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)
Kashima-Miko Shrine in Ishinomaki City, Miyagi Pref.

==式内社(小社)、旧県社
創建は不詳。『日本三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社」のうちの牡鹿郡の一社である。

==2023.09.26--02
宮城県涌谷町
黄金山神社 (こがねやまじんじゃ)
Koganeyama Shrine in Wakuya Town, Miyagi Pref.

==式内社(小社)、旧県社
聖武天皇に依る大仏建立に於ける鍍金用の金は国内での産出は無く、全て輸入に頼っていたところ、天平21年(749年)正月4日に陸奥国守百済王敬福が管内の小田郡で産出した黄金900両(13kg)を貢上した。天皇は大変喜び、年号を「天平」から「天平感宝」へと改めたほどです。地方の神社として存在していた黄金山神社は、天平産金に縁起を有したことにより、『延喜式神名帳』に登載され、延喜式内社という由緒ある社、国家の神社となりました。

==2023.09.26--03
宮城県七ヶ浜町
鼻節神社 (はなぶしじんじゃ)
Hanabushi Shrine in Shichigahama Town, Miyagi Pref.

==式内社(名神大社)、旧村社
社伝によれば、鹽竃神社と同じという神が神代に存し、御舟にて鼻節浜に上陸、孝安天皇の時代に「ほうが崎」に鎮座があり、舒明天皇2年(630年)に初めて圭田(祭祀用として天子から賜る田)43束を奉り神事を行ったという。その後光仁天皇の宝亀元年(770年)、「ほうが崎」は風が強く、度々社殿が破損したので現在の鎮座地である垂水山に移ったとされる。

===2023.09.26--04
宮城県多賀城市
陸奥総社宮 (むつそうしゃのみや)
Mutsu-Soshanomiya Shrine in Tagajo City, Miyagi Pref.

==陸奥国総社論社、旧村社
陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない。

==2023.09.26--05
宮城県名取市
熊野神社 (くまのじんじゃ)
Kumano Shrine in Natori City, Miyagi Pref.

==旧県社
平安時代の保安4年(1123年)、紀州熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つとして創建された。名取熊野三社の中心的存在

===2023.09.26--06
宮城県亘理町
鹿島天足和気神社 (かしまあまたらしわけじんじゃ)
Kashima-Amatarashiwake Shrine in Watari Town, Miyagi Pref.

==式内社(小社)、旧郷社
景行天皇41年(111年)8月6日、日本武尊により現在の鎮座地の北にある神宮寺地区字ヲフロの三門山へと勧請されたと伝わる。清和天皇の御世の貞観4年(862年)壬午6月15日に官社に列し「鹿島宮」と称するようになり、同年同月18日には従四位上が授けられた。

=2023.09.26--07
宮城県大河原町
大高山神社 (おおたかやまじんじゃ)
Otakayama Shrine in Ogawara Town, Miyagi Pref.

==式内社(名神大社)、旧郷社
社伝によれば、大高山神社は敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたという。『続日本後紀』によれば、承和9年(842年)には従五位下の神階を授けられ、貞観11年(869年)3月には従五位上に昇叙した。

===2023.09.26--08
宮城県蔵王町
刈田嶺神社 (かったみねじんじゃ)
Kattamine Shrine in Zao Town, Miyagi Pref.

==式内社(名神大社)論社、旧郷社
蔵王連峰の刈田岳(標高1,758m)山頂の「刈田嶺神社」を「奥宮」、当社を「里宮」と言う。「蔵王連峰」の "蔵王" は、かつて両宮が祀っていた蔵王権現に由来する。
社伝では、役小角が白鳳8年(679年)に大和国に蔵王権現、即ち、天之水分、国之水分、二柱の御神霊を鎮座した吉野山から、不忘山に蔵王権現を奉還して、山名も「蔵王山」と改めるに至った。平安時代後期の前九年の役の頃になると、安倍氏が当社を己が氏神として神殿の改築したという。


<2023年9月27日>
福島県国見町「道の駅 国見」-  福島市 - 本宮市 - 郡山市熱海町 - 猪苗代町 -  会津坂下町 -  新潟県阿賀町 - 加茂市 ----
朝から本降りの雨で、予定していた福島県内の訪問予定地は次回とし、自宅への帰還の日としました。

以下は、前回はのがした福島県内への訪問記録です。
<2023年10月7日>
--- 新潟県魚沼市 - 福島県只見町 - 南会津町 - 天栄村 - 平田村 - いわき市「道の駅 よつくら港」


==2023.10.07--01
福島県須賀川市桙衝
桙衝神社 (ほこつきじんじゃ)
Hokotsuki Shrine in Sukagawa City, Fukushima Pref.

==式内社(小社)、旧県社
社伝によれば、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際、亀居山に柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌神(建御雷命)を祀ったのが創祀とする。

==2023.10.07--02
福島県いわき市
佐麻久嶺神社 (さまくみねじんじゃ)
Samakumine Shrine in Iwaki City, Fukushima Pref.

==式内社(小社)、旧郷社
社伝によると、慶雲元年(704年)4月7日、紀伊国名草郡の日前国懸大神の祭神一柱の分霊を勧請したのを創祀とする。


<2023年10月8日>
福島県いわき市「道の駅 よつくら港」- 南相馬市 - 飯舘村 - 福島市 - 本宮市 - 郡山市熱海町 - 猪苗代町 -  会津坂下町 -  新潟県阿賀町 - 加茂市 ---

==2023.10.08--01
福島県南相馬市
多珂神社 (たかじんじゃ)
Taka Shrine in Minami-Soma City, Fukushima Pref.

==式内社(名神大社)論社。旧県社
当社は陸奥国行方郡に鎮座する延喜式内社八座の首座。「多賀神社」の名を持つ神社の中で全国で唯一の名神大社で、東北地方の多賀神社は当社を根源とするものだともいわれる。
由緒は不詳だが、創建は第12代景行天皇40年に、東征のためにこの地を訪れた日本武尊により、戦勝祈願のために勧請されたと伝えられる。

==2023.10.08--02
福島県福島市
白和瀬神社 (しらわせじんじゃ)
Shirawase Shrine in Fukushima City, Fukushima Pref.

==式内社(小社)、旧県社
大化元年(645年)、現在地より北西2キロのの烏帽子岳頂上に鎮座したのが創祀。御祭神は日本武尊。しかし、地勢が急峻で参拝に不便だったため、天正年間(1573年-1591年)に現在地である折戸の地に遷座した。


実は、福島市の「福島稲荷神社」と、二本松市の「二本松神社」も今回の訪問予定先だったのですが、両社とも当日は祭礼日で、人混みが酷く、付近一帯は通行も制限されている状態で駐車は出来ませんでした。
今回はこれまでとして、帰途に付きました。

**** END ****


2021年9月26出発、10月1日帰着で、青森県を主として東北旅行に行きました。
主たる訪問先は、歴史のある神社です。
走行は例の如く有料の高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 1,615km、所要ガソリン量は 69.72L でした。
東北の太平洋側は、無料の自動車専用道路がほとんど繋がっていることに驚きました。景色を楽しむことを主眼に、普段は下道を通るのですが、今回は無料の自動車専用道路があれば利用し、時間優先となりました。

<2021年9月26日 - 10月1日 全ルート>
allday

<2021年9月26日>
 - 新潟県村上市 - 山形県鶴岡市 - 庄内町 - 遊佐町 - 秋田県にかほ市「道の駅 象潟」

== 2021.09.26 山形県鶴岡市 金峯神社 (きんぼうじんじゃ) 中の宮
Kimbo Shrine in Tsuruoka City, Yamagata Pref.
<<旧県社、別表神社>>
大同年間(806年-810年)、金峯山の山頂にはじめて社殿が創建され、承暦年間(990年-995年)、大和国宇多郡の丹波守盛宗が出羽国に移る際に吉野の金峯山の神を勧請したと伝える。
神仏習合の時代には真言宗の修験道場として栄えていた。明治の神仏分離に際し、明治10年(1877年)に金峯神社に改称した。


== 2021.09.26 山形県庄内町 北舘神社 (きただてじんじゃ) Kitadate Shrine in Shonai Town, Yamagata Pref.
<<旧郷社、別表神社>>
北舘大学助利長は、庄内平野東部一帯の灌漑を計画、慶長17年(1616年)に灌漑水路を完成させた。利長が歿した寛永2年(1625年)の153年後の安永7年(1778年)、この水路の恩恵に与る住民たちが、利長の功績を賛えて狩川八幡宮の境内に利長を祀る祠を設け、「北舘水神社」と称した事を創建とする。


== 2021.09.26 山形県遊佐町 鳥海山大物忌神社 (ちょうかいさんおおものいみじんじゃ) 吹浦口ノ宮 (ふくらぐちのみや)
Chokaisan-Omonoimi Shrine in Yusa Town, Yamagata Pref.
<<式内社(名神大社)、出羽国一宮、旧国幣中社、別表神社>>
景行天皇または欽明天皇時代の創祀と伝えられるが、創建時期には諸説があり、山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しているための勧請も絡んでいて、時期の特定は困難である。



<2021年9月27日>
秋田県にかほ市「道の駅 象潟」- 由利本荘市 - 秋田市 - 潟上市 - 能代市 - 大館市 - 鹿角市 - 青森県平川市「道の駅 いかりがせき」

== 2021.09.27 秋田県由利本荘市 本荘八幡神社 (ほんじょうはちまんじんじゃ)
Honjo-Hachiman Shrine in Yurihonjo City, Akita Pref.
<<旧県社>>
寛治年中菖蒲崎中島に鎮座されたが、洪水のため流失し、文安5年石清水八幡宮の御分霊を奉斎したと口碑に伝えられている。


== 2021.09.27 秋田県秋田市 総社神社 (そうしゃじんじゃ)
Sosha Shrine in Akita City, Akita Pref.
<<旧県社>>
神社由緒古記録によると、神社の創祀は神亀元年(724年)になるという。


== 2021.09.27 秋田県秋田市 日吉八幡神社 (ひえはちまんじんじゃ)
Hie-Hachiman Shrine in Akita City,, Akita Pref.
<<旧県社>>
社伝では、平安時代、日枝山王と石清水八幡宮を勧請し日吉山延命寺と称したとされているが、鎌倉時代とする説もあり詳細は不明。


== 2021.09.27 秋田県秋田市 太平山三吉神社 (たいへいざんみよしじんじゃ)
Taiheizan-Miyoshi Shrine in Akita City, Akita Pref.
<<旧県社、別表神社>>
社伝によれば白鳳2年(673年)、役小角が創建したという。その後延暦20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂が戦勝を祈願して社殿を建立し、鏑矢を奉納したという。


== 2021.09.27 秋田県秋田市 土崎神明社 (つちざきしんめいしゃ)
Tsuchizaki-Shinmeisha Shrine in Akita City, Akita Pref.
<<旧県社>>
土崎神明社はもともと、慶長7年(1602年)に常陸から佐竹義宣とともに秋田にやってきた常陸国人川口惣治郎の氏神であった。現在の場所に移ったのは元和6年(1620年)のことである。


== 2021.09.27 秋田県潟上市 東湖八坂神社 (とうこやさかじんじゃ)
Toko-Yasaka Shrine in Katagami City, Akita Pref.
<<旧県社>>
社伝によれば、延暦20年(801年)、蝦夷征討を果たした征夷大将軍・坂上田村麻呂が神恩に感謝して北野原東湖宮にスサノオを祀ったのが始まりという。
 

== 2021.09.27 秋田県能代市 日吉神社 (ひよしじんじゃ)
Hiyoshi Shrine in Noshiro City, Akita Pref.
<<旧県社>>
天文年間(1532年-1555年)の初め、能代には人家がまだ20軒-30軒ほどしかなく、みな浜辺に住んで、漁師として暮らしていた。専助という漁師は、夜の海に出て網を打った。するとその網とともに御霊光が浮かびあがり、この郷の長である清水次郎兵衛政吉が霊夢を見て、御神体を奉安し、能代の鎮守としたのが創祀。これが天文2年(1533年)4月中の申の日だったという。


== 2021.09.27 秋田県藤里町 素波里神社 (すばりじんじゃ)
Subari Shrine in Fujisato Town, Akita Pref.
<<旧郷社>>
素波里神社の創建は不明であるが、正徳元年(1712年)の神社調べに記載されていることから、それ以前に創建されたことは確実である。建久年間(1190年 - 1200年前後)の開基ではないかとも言われている。
古名を青黒山峰大寺といったが、神仏分離によって社名を素波里神社に改めた。


== 2021.09.27 秋田県大館市 大館八幡神社 (おおだてはちまんじんじゃ)
Odate-Hachiman Shrine in Odate City, Akita Pref.
>> 関ヶ原の戦いのあと、常陸国より佐竹氏が秋田に転封の際に、随伴した佐竹西家の小場義成が慶長15年(1610年)に久保田藩大館城の初代城代となった。その入城の際に、同時に佐竹氏の守護神である常陸国の若宮八幡宮の御神霊を奉持し、大館城の守護神として、城中に祀ったのが始まりである。
重要文化財の本殿二棟は、鞘堂で覆われていて見ることができません。


== 2021.09.27 秋田県鹿角市 大日霊貴神社 (おおひるめむちじんじゃ)
Ohirumemuchi Shrine in Kazuno City, Akita Pref.
>> 大日霊貴神社は「大日堂」とも称される。
社伝によれば継体天皇の代に創建されたと伝えられ、のちに養老2年(718年)に奈良時代の僧行基によって再建されたと伝えられる。



<2021年9月28日>
青森県平川市「道の駅 いかりがせき」- 鰺ヶ沢町 - 五所川原市 - 弘前市 - 青森市 - 野辺地町 - むつ市 - 横浜町「道の駅 よこはま」

== 2021.09.28 青森県鰺ヶ沢町 種里八幡宮 (たねさとはちまんぐう)
Tanesato-Hachimangu Shrine in Ajigasawa Town, Aomori Pref.
<<旧郷社>>
種里八幡宮の創建は大永3年(1523年)、種里城の城主、大浦光信が勧請したのが始まりと伝えられている。大浦光信は後の弘前藩津軽家の祖と言われた人物である。


== 2021.09.28 青森県五所川原市 元町八幡宮 (もとまちはちまんぐう)
Motomachi-Hachimangu Shrine in Goshogawara City, Aomori Pref.
<<旧村社>>
寛文元年(1661年)勧請。伝説によれば、「五所川原」という地名の発祥と当社の創建には密接な関係があるという。


== 2021.09.28 青森県弘前市 高照神社 (たかてるじんじゃ)
Takateru Shrine in Hirosaki City, Aomori Pref.
<<旧県社>>
宝永7年(1710年)に卒去した弘前藩4代藩主の津軽信政の廟所に起源を持つ。5代藩主信寿が信政の遺言に則り、正徳2年(1712年)に本殿を造営して信政の神霊を遷祀したのが創祀で、享保15年(1730年)に「高照神社」と称した。


== 2021.09.28 青森県弘前市 弘前八幡宮 (ひろさきはちまんぐう)
Hirosaki-Hachimangu Shrine in Hirosaki City, Aomori Pref.
<<旧県社、弘前の総鎮守>>
弘前八幡宮の創建は平安時代初期、坂上田村麻呂が東夷東征の際、岩木村に宇佐八幡宮の分霊を勧請し戦勝祈願をしたのが始まりと伝えられています。慶長16年(1611年)、弘前城の完成に伴い2代藩主津軽信牧が居城を移した後、慶長17年(1612年)に弘前城から見て北東の位置である現在地に遷座し鬼門守護、弘前総鎮守としました。


== 2021.09.28 青森県平川市 猿賀神社 (さるがじんじゃ)
Saruga Shrine in Hirakawa City, Aomori Pref.
<<旧県社、別表神社>>
桓武天皇の時代に蝦夷征討に苦戦していた坂上田村麻呂が田道命の霊に導かれて大勝したので、延暦12年(793年)、田村麻呂が現在地に祠を造り、大同2年(807年)には勅命により社殿が造営されたと伝える。


== 2021.09.28 青森県青森市 善知鳥神社 (うとうじんじゃ)
Uto Shrine in Aomori City, Aomori Pref.
<<旧県社>>
允恭天皇の時代(412 - 453年)に善知鳥中納言安方という者が勅勘を受けて外ヶ浜に蟄居していた時に高倉明神の霊夢に感じて干潟に小さな祠を建設し、宗像三神を祀ったのが神社の起こりと伝わる。謡曲『善知鳥』で有名。


== 2021.09.28 青森県野辺地町 野辺地八幡宮 (のへじはちまんぐう)
Noheji-Hachimangu Shrine in Noheji Town, Aomori Pref.
<<旧郷社>>
創建は慶長3年(1598年)に勧請されたのが始まりと伝えられ、以来、野辺地の総鎮守として広く信仰されてきた。


== 2021.09.28 青森県むつ市 田名部神社 (たなぶじんじゃ)
Tanabu Shrine in Mutsu City, Aomori Pref.
<<旧郷社>>
下北半島の総鎮守である。創立年代は不詳だが、一番古い資料として、南北朝時代の康永4年(1341年)の鰐口が残っている。



<2021年9月29日>
横浜町「道の駅 よこはま」- むつ市 - 大間町 - 佐井村 - むつ市 - 六ヶ所村 - 八戸市 - 岩手県宮古市「道の駅 みやこ」

== 2021.09.29 青森県大間町 大間稲荷神社 (おおまいなりじんじゃ)
Oma-Inari Shrine in Oma Town, Aomori Pref.
<<旧村社>>
享保15年(1730年)に創建された稲荷神社には、明治6年(1873年)より天妃神(天妃媽祖大権現)が合祀られており、日本の東北・北海道地方では、この大間だけです。


== 2021.09.29 青森県佐井村 箭根森八幡宮 (やのねもりはちまんぐう)
Yanonemori-Hachimangu Shrine in Sai Village, Aomori Pref.
<<旧郷社>>
創建の年月日はわかっていません。元禄九年(1696年)南部藩田名部代官所に神輿渡御執行を願い出ていることから、それ以前の創建と推測されます。当神社に伝わる「箭根森八幡宮縁起」には、康平5年(1062年)源頼義(みなもとのよりよし)に勧請され、延宝2年(1674年)7月、第4代南部藩主南部重信によって再建されたとあります。


== 2021.09.29 青森県八戸市 小田八幡宮 (こだはちまんぐう)
Koda-Hachimangu Shrine in Hachinohe City, Aomori Pref.
<<旧村社>>
天喜年間(11世紀中半)に鎮守府将軍に任命された源頼義が陸奥国を治めるために八幡神を勧請して鎮守としたと伝わる。
江戸時代の天和2年(1682年)以降は天台宗寺院の「小田山徳城寺(こださんとくじょうじ)」と称したが、明治の神仏分離令により社名を「八幡宮」と改称した。


== 2021.09.29 青森県八戸市 龗神社 (おがみじんじゃ)
Ogami Shrine in Hachinohe City, Aomori Pref.
<<旧村社、八戸の総鎮守>>
平安時代にはすでに存在していたことが記録上判明しているが、はっきりした創建は不明で、郷土史家や研究者によって古墳期・飛鳥期など諸説がある。


== 2021.09.29 青森県八戸市 八戸神明宮 (はちのへしんめいぐう)
Hachinohe-Shimmeigu Shrine in Hachinohe City, Aomori Pref.
>> 天正19年(1591年)の九戸政実の乱のころ、政実家臣の三田彦四郎により三戸郡金濱村(現 八戸市金浜)に遷座。次に新井田村今町、 中居林村へ遷座した。勧請よりここに至るまで年暦は不詳。


== 2021.09.29 青森県八戸市 長者山新羅神社 (ちょうじゃさんしんらじんじゃ)
Chojasan-Shinra Shrine in Hachinohe City, Aomori Pref.
<<旧県社>>
延宝6年(1678年)に2代藩主直政が藩家の守護と領内の五穀豊穰と領民の安穏、無病息災を祈念する祈願所として山上に南部氏の遠祖である新羅三郎義光命(源義光)を勧請、「三社堂」または「虚空蔵堂」と号した。



<2021年9月30日>
岩手県宮古市「道の駅 みやこ」- 大船渡市 - 陸前高田市 - 宮城県気仙沼市 - 仙台市 - 福島県福島市 - 猪苗代町「道の駅 猪苗代」

== 2021.09.30 岩手県宮古市 横山八幡宮 (よこやまはちまんぐう)
Yokoyama-Hachimangu Shrine in Miyako City, Iwate Pref.
<<旧郷社>>
白鳳9年(680年)の創建とされるが火災で縁起などを喪失したため詳細は不明である。


== 2021.09.30 岩手県大船渡市 尾崎神社 (おさきじんじゃ) 遥拝殿
Ozaki Shrine in Ofunato City, Iwate Pref.
<<旧郷社、式内社(小)の論社>>
社伝によれば、奈良時代末期の延暦2年(783年)に創建された。


== 2021.09.30 岩手県陸前高田市 冰上神社 (ひかみじんじゃ)
Hikami Shrine in Rikuzen-Takata City, Iwate Pref.
<< 旧郷社、式内社(小)>>
創祀年代は不詳。氷上山の山頂に、西宮として理訓許段神社、中宮として登奈孝志神社、東宮として衣太手神社の三社が鎮座しており、当社はそれらの里宮。


== 2021.09.30 宮城県気仙沼市 早馬神社 (はやまじんじゃ)
Hayama Shrine in Kesen-numa City, Miyagi Pref.
<<旧村社>>
建保5年(1217年)、梶原景時の兄で鶴岡八幡宮(鎌倉若宮)の臨時別当に就任した梶原専光坊景実が、梶原一族の没落後、鎌倉を離れ、この地に源頼朝、梶原景時、梶原景季を弔うため梶原神社(梶原堂)を創建したことに始まる。



<2021年10月1日>
 猪苗代町「道の駅 猪苗代」- 会津若松市 - 会津美里町 - 西会津町 - 只見町 - 新潟県魚沼市 - 

== 2021.10.01 福島県会津若松市 蚕養国神社 (こがいくにじんじゃ)
Kogaikuni Shrine in Aizu-Wakamatsu City, Fukushima Pref.
<<旧県社、式内社(小)>>
社伝では、平安時代の弘仁2年(811年)創建という。会津で養蚕を盛んにしようとする中央の朝廷の政策のためという見解が有力。


== 2021.10.01 福島県会津美里町 伊佐須美神社 (いさすみじんじゃ)
Isasumi Shrine in Aizu-Misato Town, Fukushima Pref.
<<旧国幣中社、別表神社、式内社(名神大)、会津総鎮守>>
「会津」という地名は、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの2人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだ建沼河別命とが会津で行き会ったことに由来するといわれ、2人が国家鎮護神を祀ったのが伊佐須美神社の創祀とされる。
平成20年の火事により本殿・神楽殿・神饌所など消失してしまい、現在は仮社殿の状況です。


== 2021.10.01 福島県西会津町 大山祇神社 (おおやまづみじんじゃ) 遥拝殿
Oyamazumi Shrine in Nishi-Aizu Town, Fukushima Pref.
>> 奈良時代、第49代光仁天皇の御代、宝亀9年(778年)の勧請と伝えられる。
ここの神様は、越後蒲原地方の人々から「山の神様」と称されて崇められ、大祭には臨時列車が出るほどの絶大な人気を博していました。


###### END #######

2019年9月12日から15日に掛けて、東北地方の旅行に行ってきました。
東北地方は何度も訪れていますが、今回は 「続日本100名城」 と 有名どころの寺院、神社で、今まで行き忘れていたところの訪問を目的にしました。言わば落穂ひろい的な旅です。
走行は例の如く高速道路は使わず、全て下道の旅です、走行距離は 1,680km 、所要ガソリン量は 74.19L でした。

<2019年9月12日 - 15日 全ルート>
00alldays

<2019年9月12日>
自宅 - 新潟県村上市 - 山形県鶴岡市 - 秋田県由利本荘市 道の駅にしめ
01day1

=2019.9.12 山形県鶴岡市 善宝寺 (ぜんぽうじ) ==
Zenpou-ji Temple in Tsuruoka City, Yamagata Pref.
善宝寺は、曹洞宗三大祈祷所の一つです。


<2019年9月13日>
道の駅にしめ - 大仙市 - 秋田市 - 男鹿市 - 能代市 - 藤里町 - 青森県西目屋村 - 弘前市 - 青森市 - 平川市 道の駅碇ヶ関
02day2

==2019.9.13 秋田県大仙市 水神社 (みずじんじゃ) ==
Mizu Shrine in Daisen City, Akita Pref.
水神社は、秋田県唯一の国宝である 「線刻千手観音等鏡像」 をご神体とする神社です。


=2019.9.13 秋田県男鹿市 脇本城跡 (わきもとじょう) ==
Ruined Wakimoto Castle in Oga City, Akita Pref.
脇本城は、1577年 (天正5年)、安東愛季が大規模な改修を行い居城としました。その後、1602年 (慶長7年) の佐竹氏による久保田城築城までに、廃城になったと思われます。


==2019.9.13 青森県道・秋田県道317号西目屋二ツ井線(にしめやふたついせん)==
Drive thru Aomori-Akita Prefectural Road No.317
秋田県藤里町の白神山地世界遺産センター「藤里館」から青森県西目屋村の砂子瀬橋まで、県道317号を通ったドライブ記録です。県境には 釣瓶トンネル(標高710m)があります。
<ルート>
県道317



==2019.9.13 青森県弘前市 長勝寺 (ちょうしょうじ) ==
Chosho-ji Temple in Hirisaki City, Aomori Pref.
長勝寺は、曹洞宗の寺院です。
三門、御影堂、本堂・庫裏等が重要文化財に指定されています。


==2019.9.13 青森県青森市 浪岡城跡 (なみおかじょう) ==
Ruined Namioka Castle in Aomori City, Aomori Pref.
浪岡城は、長禄年間、応仁年間、または文明年間のいずれかに北畠氏4代北畠顕義によって建造されました。1578年(天正6年)浪岡北畠氏9代北畠顕村の代に大浦為信(後の津軽為信)によって攻められ落城しました。
浪岡城祉史跡公園として整備されています。


<2019年9月14日>
道の駅碇ヶ関 - 秋田県小坂町 - 鹿角市 - 岩手県八幡平市 - 二戸市 - 青森県八戸市 -岩手県久慈市 - 宮古市 - 大船渡市 - 宮城県気仙沼市 - 石巻市 道の駅上品の郷
03day3

=2019.9.14 岩手県二戸市 九戸城跡(くのへじょう) ==
Ruined Kunohe Castle in Ninohe City, Iwate Pref.
九戸城は、中世の平山城で、主に南部氏の一族である九戸氏が居城しました。


==2019.9.14 青森県八戸市 櫛引八幡宮 (くしひきはちまんぐう) ==
Kushihiki-Hachimangu Shrine in Hachinohe City, Aomori Pref.
櫛引八幡宮は、旧郷社で、近年南部総鎮守一ノ宮を自称しています。


<2019年9月15日>
道の駅上品の郷 - 仙台市 - 白石市 - 福島県福島市 - 三春町 - 郡山市 - 会津若松市 - 喜多方市 - 新潟県阿賀町 - 五泉市 - 自宅
04day4

==2019.9.15 宮城県仙台市 大崎八幡宮 (おおさきはちまんぐう) ==
Osaki-Hachimangu Shrine in Sendai City, Miyagi Pref.
大崎八幡宮は、旧村社で、国宝の本殿・石の間・拝殿は伊達政宗の寄進により建立され、慶長12年(1607年)に竣工したものです。


==2019.9.15 宮城県白石市 白石城跡 (しろいしじょう) ==
Ruined Shiroishi Castle in Shiroishi City, Miyagi Pref.
白石城跡は、益岡公園として整備が進められ、木造復元天守などの建物が再建されています。


==2019.9.15 福島県福島市 中野不動尊 (なかのふどうそん) ==
Nakano-Fudoson Temple in Fukushima City, Fukushima Pref.
中野不動尊は、曹洞宗の寺院です。


==2019.9.15 福島県三春町 三春城跡 (みはるじょう) ==
Ruined Miharu Castle in Miharu Town, Fukushima Pref.
三春城は、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城でした。現在城跡は公園として整備されています。


==2019.9.15 福島県喜多方市 願成寺 (がんじょうじ) ==
Ganjo-ji Temple in Kitakata City, Fukushima Pref.
願成寺は、浄土宗の寺院で、会津大仏で知られています。


==2019.9.15 福島県喜多方市 新宮熊野神社 (しんぐうくまのじんじゃ) ==
Shingu-Kumano Shrine in Kitakata City, Fukushima Pref.
新宮熊野神社は、旧県社で、国の重要文化財に指定されている熊野神社長床と呼ばれている拝殿があることで有名です。


2017年6月9日に自宅を発ち、6月13日に帰着という日程で、下北半島と津軽半島まで旅行に行って来ました。かなり以前に行った事は有るのですが、取り残した訪問先の訪問や、記録が不明確なルートの再記録が目的です。
総走行距離は 1,986km, 要したガソリン量は 81.47リットルでした。
高速道路は使わず、いわゆる下道を走るのが基本です。宿泊は全て車中泊としました。

先ず、全行程のログです。
<2017年6月9日 - 6月13日>
AllTrack

<2017年6月9日>
自宅発 - 新潟県阿賀町 - 国道459号 - 福島県喜多方市 - 「檜原湖」- 磐梯吾妻スカイライン - 福島市 - 国見町「道の駅国見あつかしの郷」
day01

==檜原湖と裏磐梯==


==檜原湖と秋元湖の間の日本猿==

檜原湖と秋元湖の間の福島県道70号で日本猿の一群と遭遇しました。

==福島市 磐梯吾妻スカイライン==


<2017年6月10日>
「道の駅国見」- 宮城県仙台市 - 栗原市 - 国道398号 - 栗駒山麓 - 国道342号 - 岩手県一関市 - 平泉町「達谷窟毘沙門堂」-「毛越寺」-「中尊寺」- 盛岡市 - 岩手町「道の駅石神の丘」
Day02

==平泉町 達谷窟毘沙門堂==


==平泉町 毛越寺==


==平泉町 中尊寺==


<2017年6月11日>
「道の駅石神の丘」- 岩手県二戸市 - 青森県三戸町 -「十和田湖」-「奥入瀬渓流」-「酸ヶ湯温泉」- 青森市 - むつ市 - 佐井村「仏ヶ浦」- 大間町 - 横浜町「道の駅よこはま」
Day03

==十和田湖==

秋田県小坂町側と青森県十和田市側の二か所から展望しました。

==十和田市 奥入瀬渓流の銚子大滝==


==広葉樹海のドライブ==

青森市の国道103号を通ったドライブ記録です。

==佐井村 仏ヶ浦==


<2017年6月12日>
「道の駅よこはま」- 青森市 - 蓬田村 - 外ヶ浜町「竜飛崎」- 五所川原市 - 深浦町 - 秋田県能代市 - 秋田市 - にかほ市「道の駅象潟」
Day04

==外ヶ浜町 竜飛崎==


<2017年6月13日>
「道の駅象潟」- にかほ市「奈曽の白滝」-鳥海ブルーライン「鉾立展望台」- 山形県遊佐町 - 三川町「道の駅庄内みかわ」- 鶴岡市加茂 - 新潟県村上市「笹川流れ」- 新潟市 - 自宅
Day05

==にかほ市 奈曽の白滝==


==鳥海山五合目 鉾立展望台==

鳥海ブルーラインを通って鳥海山五合目の鉾立展望台を訪れました。

2016年6月4日に自宅を発ち、6月8日に帰着という日程で青森県を主体に旅行に行って来ました。
昨年(2015年)8月にも青森県には旅行しているのですが、その時には訪れていない所を主体に訪れました。
総走行距離は 1,926km, 要したガソリン量は 76.6リットルでした。
高速道路は使わず、いわゆる下道を走るのが基本です。宿泊は全て車中泊としました。

先ず、全行程のログです。
<2016年6月4日 - 6月8日>
All_Route

<2016年6月4日>
自宅発 - 村上市 - 山形県鶴岡市 - 秋田県にかほ市 - 由利本荘市「道の駅 にしめ」
Route_Jun04
 いつもなら国道17号を通って最短で山形県を目指すのですが、今回は弥彦村から間瀬浜に出て海岸沿いの道を通って向かいました。距離的にそんなに違いはないし、いつも同じ道だと飽きるので ・・

==加茂水族館==
Jun04-01_加茂
 リニュアルされた加茂水族館に寄りました。リニューアル直後にも行ったのですが、人が多すぎて早々に退散しました。古い小さな建物の時に初めて訪れているので、今回は三回目となります。
リニューアルして大きくなったのはいいのですが、「なんか普通の水族館になったな」という印象です。普通の魚の水槽もいっぱいあるし ・・
以前の小さい建物の時は普通の魚は目立たず、クラゲだけが目立ったのですが ・・

==鶴ヶ岡城址==
Jun04-02_鶴岡城
鶴ヶ岡城祉である鶴岡公園に寄りました。中に「庄内神社」があります。堀以外あまり城址らしいものはありませんが、なかなか良いところです。

<2016年6月5日>
「道の駅 にしめ」- 秋田市 - 男鹿市 - 入道崎 - 能代市 - 青森県鰺ヶ沢町 - つがる市 - 青森県五所川原市「道の駅 十三湖高原」
Route_Jun05

==天鷺城==
Jun05-01_天鷺
国道沿いに「天鷺郷」と書かれた派手な看板があったので寄り道したら、こんなものがありました。
実は何なのか分かっていません。時間が早すぎて門も開いていないし、人も通っていませんでした。

==秋田城==
Jun05-02_秋田城
ナビに「秋田城」と入れたら、ここに案内されました。いわゆる御城ではなく平安時代の「柵」の址ですね。新潟市内の「沼垂柵」は知っていたのですが、時代とともに北進してここまで来たのでしょうか?

==久保田城跡==
御城の方は「久保田城」というのですね。秋田城の後で早速ナビに案内させたのですが ・・
例のごとく、周りを一周しても駐車場が分かりません。早々に退散するしかありませんでした。

==入道崎==
Jun05-03_入道崎
秋田県に来たからには、男鹿半島の先端、入道崎にはやっぱり行かないわけにはいかないでしょう。
この後、一目散に青森県に向かったわけです。

<2016年6月6日>
「道の駅 十三湖高原」- 十三湖 - メロンロード - つがる市 - 弘前市 - 青森市 - むつ市「恐山」 - 三沢市 - 青森県階上町「道の駅 はしかみ」
Route_Jun06

==十三湊遺跡==
道の駅十三湖高原の看板に大々的に書かれていたので行ってみました。集落の道路をあっちこっちと探しましたが見つかりません。ようやく見つけた看板に依ると、発掘して埋め戻したのですね。この辺り一帯が十三湊の跡との記載でした。
Jun06-01_十三湊
集落外れの橋のところから日本海が見えることろに行って写真を撮りました。遠くに岩木山が見えます。なかなか良い感じですが、冬の荒涼とした景色も感じ取れます。

==高山稲荷神社==
道路に標識があったので寄り道してみました。着いてびっくり「エエ! こんなに大きいの!」
大きな鳥居と大きな講堂に驚きます。この様な人里離れたところになぜ?
石段を上がった山の上にいくつかの社があります。写真の社は多分メインのもの。不思議な鳥居ですね。
Jun06-02_高山稲荷
「千本鳥居」なるものが別の道を下ったところにあると看板がありました。下の方なら車で回り道して行けるだろうと考え、案内看板を探しながら車を進めたのですが、見つけることが出来ませんでした。
しようがないので次に進みましたが、やっぱり見ておくべきだったと反省しています。

==ベンセ湿原==
Jun06-03_ベンセ
 道路に標識があったので寄り道してみました。ここはなかなか良いところでした。人は少ないし、駐車場には三台程度が停まっていました。
木道で一周しましたが、季節が良かったのか花(ニッコウキスゲ)が咲いている向こうの遠くに「岩木山」が見えました。

==最終氷期埋没林==
Jun06-04_埋没林
 この海岸沿いの露頭に埋もれた木を見ることが出来ます。まあ、ありがちな素人には「へ?」て感じな所です。
この浜へ下る坂道の壁から水が染み出していて小川になっていましたが、黄色く変色していました。多分、上の層にも植物が埋まっていて、染み出したタンニンで黄色くなっているのでしょう。

==弘前城==
Jun06-05_弘前城
 先回は見る事が出来なかった弘前城にやってきました。
テレビで見た、曳屋が移動させていた この建物が天守閣だったのですね! 余りの小ささに驚きました。石垣の上にそびえていれば風格があるのでしょうが残念な感じです。でも弘前城全体は驚くほど広くて、美しいところで満足しました。

==恐山==
Jun06-06_恐山
 先回は通り過ぎた「恐山」にやってきました。
漂う硫化水素の匂いと、建物類の嫌な雰囲気から、外側から眺めて早々に引き上げようと考えたのですが ・・
「多分、二度と来ることはないだろう」と考え直し、入山料500円を払って中に入ってみました。
噴気孔地帯を利用した脅しの雰囲気や、建物類の言い表しえない嫌な雰囲気は何なんでしょうか。
このカラフルな風車のアンバランス感と寂寥感 ・・
仕掛けられた狙いにまんまと嵌ってしまったのかもしれません。

<2016年6月7日>
「道の駅 はしかみ」- 岩手県久慈市 - 葛巻町 - 岩手町 - 盛岡市 - 雫石町「道の駅 雫石あねっこ」 - 西和賀町 - 秋田県横手市 - 湯沢市 - 山形県新庄市 - 山形市 - 米沢市 - 福島県喜多方市「道の駅 喜多の郷」
Route_Jun07
 今日は、帰りの距離を稼ぐということですが、出来るだけ今まで通った事の無い道を通るようにしました。
家を出てから四日目ということで、風呂に入るべく温泉施設を探したのですが ・・
山形県から秋田県の日本海沿いの道の駅は軒並み温泉施設が併設されているのに、こちら側には殆ど施設が無いのに驚きました。そんな中から、帰路からコースが外れない雫石町の「道の駅 雫石あねっこ」の温泉施設に行きました。

==道の駅 雫石あねっこ 橋場温泉==
Jun07-01_あねっこ
温泉としては、このヌルヌル感が続くアルカリ系の温泉は初めての経験でした。はっきり言って、スッキリ感がないので私は嫌いです。

<2016年6月8日>
「道の駅 喜多の郷」- 会津若松市 - 昭和村 - 金山町 - 只見町 - 新潟県魚沼市 - 自宅着
Route_Jun08

==沼沢湖==
Jun08-01_沼沢湖
 今まで金山町を通るたびに、山の中に湖がある事には気づいていたのですが、今回初めて行ってみました。
てっきり山の中の人里離れた湖と思っていたら、湖畔に集落があったりして全然イメージと違っていました。

==河井継之助記念館==
Jun08-02_記念館
 こちらの記念館も只見町を通るたびに存在には気づいていたのですが、今回初めて訪問しました。
貧相な記念館を想像していたのですが、お金が掛かった綺麗な記念館で驚きました。
河井継之助等が越えた「八十里越え」の展示も少しあり、学生時代に「八十里越え」を通った冒険をしたことを思い出しました。この件は、別途の記事にしたいと思います。
Jun08-03_只見線
記念館と国道沿いの駐車場の間の只見線の様子です。永らく不通が続き、草がボウボウです。
今調べてみたら、只見駅と新潟県側の間は開通していて、不通区間は只見駅と会津川口駅間だけなのですね。

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